海軍上層部の大罪 ③
「1を得て100を失った」天下の愚策、真珠湾攻撃について。
真珠湾の水深は、確か13メートルくらい。
私も真珠湾のアリゾナメモリアルに行きましたが、海の底まで見えるほど、水深が浅い。
つまり、軍艦を沈めても、簡単に引き上げられるのです。
だから、石油タンク群や修理ドッグを叩かなければ、攻撃する意味がない。軍艦だけ沈めても意味はないのです。
理数系の受験エリートである連合艦隊司令部は、こんな事もわからない位にアホだったのでしょうか。
彼らは山本五十六を筆頭に、真珠湾攻撃という華々しく壮大な作戦に酔っ払ってしまって、理性を欠いてしまったのだと思います。
山本五十六の「いやいやながらの対米開戦」「いやいやながらの真珠湾攻撃」は、その「いやいや」がどこまで本気だったのか疑わしい。
真珠湾攻撃に向かってひた走る山本五十六を横目に見ていた第二次近衛内閣の及川古志郎 海軍大臣は、
「山本五十六はアメリカとの戦争に反対と言っているようだが、要は真珠湾攻撃がやりたくて仕方ないのだろう」
と述べています。このあたりが真実だと私も思います。
もしそうだとしたら、とんでもない話です。
山本五十六は国家戦略を度外視して、己のバクチ癖の為に連合艦隊を私物化したのですから。
大権私議といって、軍隊では最も罪が重い。
「日本がとても呑めないハルノートを突きつけられたから、やむを得ず真珠湾攻撃に出た」
等というのも、作られた大ウソです。
ワシントンで全権の野村吉三郎・来栖三郎の両名がハルノートを受け取る20時間以上前に、空母6隻を中心とする機動部隊は真珠湾に向けて、単冠湾からの出港を終えていました。
また、石油を止められたから開戦するという割には、実際の真珠湾攻撃において、地上にむき出しになった石油タンク群を全く叩かなかった事も疑問です。
450万バレル(72万キロリットル)の石油タンク群を機銃掃射で破壊していれば、米艦隊は数ヶ月間、動けなかった。
ちなみに日本の石油国産量は年間に40万キロリットル。
72万キロリットルの石油タンク群を攻撃する事が、いかに大事だったかおわかりいただけると思います。
ところが、海軍大学校で学んだ連合艦隊のお偉いさん達は、やはり思考が偏っているのです。「軍艦を沈める事」しか考えていないのです。
その「華々しさ」に酔ってるのだと思います。
私は、日本にとってすら地獄への片道切符となるこの真珠湾攻撃に狂奔する山本五十六や彼の幕僚達が、ハルマゲドンを夢想していたオウムの麻原彰晃や彼の弟子の理数系のエリート信者達と、重なって見えてしまう。
アメリカはフィリピンの独立を約束していたので、アジアに植民地がないのです。
そのアメリカと、戦争までする必要はなかったのです。
それにも関わらず、西の支那事変が終わっていないのに、東の真珠湾攻撃→対米全面開戦などいうのは、狂気の沙汰としか思えない。
戦う必要がないのに、アメリカとの全面戦争を引き起こす真珠湾攻撃など、日本への憎しみなくして出来る事ではありません。
山本五十六を頂点として、中堅以上の海軍の将校達は、対米開戦の理由を色々と述べていましたが、要は「真珠湾攻撃という華々しいパフォーマンス」をしたかった、それが本音なのだと思います。
しかし、寝ている所をいきなり殴りかかってケガを負わせても、それ以降の計画がまるでない。だからそれ以降の連合艦隊の戦い方は、行き当たりばったりなのです。
だいたい当時のアメリカは、戦争反対の国民が9割以上でした。モンロー主義が百年続いたこの伝統は、そう簡単に変わりません。彼らは外国に関心がないのです。
ですから大多数のアメリカ人は、太平洋の彼方の日本なんて普段は人々の話題にもならずに、どこにあるのかも知らなかったと思います。
それを山本五十六は、寝た子を、眠れる獅子を、わざわざこちらから起こしてしまった…。
「アメリカ国民はかつてないほどの団結を示し、報復を求める声は、全土に澎湃と巻き起こっている」
真珠湾攻撃の翌日のラジオ放送です。
1929年の大恐慌の痛手からまだ抜け出せずに国中が極度の貧困に苦しんでおり、真珠湾攻撃がなければこのまま不景気から立ち直れずに国が沈んでいたのでは、とすら言われている当時のアメリカ。
バックグラウンドが違う多くの異人種で成り立っているアメリカを、「かつてないほどの団結」で一つにさせてしまった、山本五十六発案の真珠湾攻撃。
これだけ見ても、艦隊を私物化した彼のギャンブルは大失敗であり、そのギャンブル自体が日本国家に対する大変な重罪だったという事がわかります。