横澤史穂のブログ

祖父が、ラバウルで負傷した陸軍の傷痍軍人でした。左右のイデオロギーに関係なく、戦争経験者の話を中心に編集したいと思っています。

少年犯罪事件 被害者遺族の慟哭

※具体的な事件名は避けますが、1989年に足立区で女子高生が無惨に命を奪われた事件。

戦後最凶悪と言われたあの事件は当時、大々的に報じられ、日本社会に深い悲しみを刻み、同時に世間の上を黒い何かが覆った様な気がします。

あの事件は日本社会に、それだけの深い傷痕を残しました。

私は被害者の方やご遺族の方々と全く面識はありませんが、宗派を越えて日本中の寺社を巡り30年以上に亘って供養を捧げて来ました。

死後の世界があるのか無いのか知りませんが、この少女だけは光の世界で報われて欲しいと、私はずっと思ってきました。

結論から申し上げると、あの被害者の少女の御霊は今は幸せな世界にいます。

ただ、詳細はまた別の機会で。

 

私は、凶悪な少年犯罪事件が報じられる度にに、日本社会の冷酷さを思う

一人の人間は、大勢の命とつながっているのです。だから一人の命を奪うという事は、その人に連なる大勢の人達の人生を破壊する事でもあるのです。

社会の表面に出て来ないけど、被害者のご両親、祖父母、兄弟、いとこ、おじさんおばさん達はどういうお気持ちでいらっしゃるのか。  

被害者のご遺族の中には、早死にする方も多いそうです。

悲しみと心労が重なり、自律神経がズタズタに破壊されて、生命を維持出来ないのです。

残酷に殺された我が家族を想って、慟哭の中で死んでいかれる。

比べる事自体、不適切ではありますが)この方達の生き地獄を思うと、戦争で敵の弾に当たって死んだ兵隊さんの方が、遥かに幸せな気がする。

戦死した兵隊さんは、みんなで一緒に死ねるわけで、自分一人ではない。あわよくば敵を道連れにも出来る。

一方、現代の被害者ご遺族の方々は、国からも政治からも世間からも見捨てられ、社会から孤立して死んで行くのです。

私は、凶悪少年犯罪に巻き込まれて息子さんを亡くされたというお母様のお話をお伺いした事があります。

何と言って言葉をかけていいのかわからない。想像を絶する生き地獄としか言い様がない。

我々はその、よほど耳をそば立てないと聞こえない声なき声、社会の片隅で人知れず泣いている同胞の悲しみにほんの少しでも寄り添わなければいけない。

※ただ、そこまで気が回らないという方の気持ちもわかるのです。

今の日本は、打ち続く経済不況でもう他人の事まで思いを巡らせる「心のゆとり」が無くなっている。

「今月やっと乗り切った」という生活が10年も15年も続けば、とても他人の事なんか構っていられない。

そうなるのも当然ですから。