横沢史穂のブログ

祖父が、ラバウルで負傷した陸軍の傷痍軍人でした。左右のイデオロギーに関係なく、戦争経験者の話を中心に編集したいと思っています。

大日本帝国を滅ぼした山本五十六 ③ 敗戦責任に時効なし

昭和の海軍上層部は、明治の東郷精神を忘れて隠蔽体質や立身出世主義、ことなかれ主義に蝕まれていました。

真珠湾攻撃においても、帰心矢の如きヘッピリ腰の南雲と草鹿が、勝っているのに反復攻撃をしないで慌てて逃げて来た事はよく批判されますが、実はこれには理があるのです。

敵空母の位置がわからない。

山本五十六は南雲艦隊に、敵空母の位置を探る偵察機を有する重巡洋艦を『利根』『筑摩』、軽巡洋艦の『阿武隈』のたった3隻しか付けなかった。

これでは心もとない。 敵に急襲されたら…。

だから早く帰ろう。

これは南雲達の言う通り。

実は日本海軍は、開戦時に重巡洋艦を18隻保有していましたが、大半がなぜか瀬戸内海でお休み(アメリカ太平洋艦隊は12隻)。

更に、空母を守る高速戦艦も、南雲艦隊には『比叡』『霧島』の2隻しか割り当てられていない。

重巡洋艦と合わせて、当時世界最強レベルの戦艦『長門』『陸奥』以下6隻の戦艦も瀬戸内海でお休みさせておいて、南雲艦隊につけなかった山本五十六に責任があります。

今だに私、山本五十六のこの「軍艦の割り振り」が謎なのです。

「本気でやる気がなかった」としか言い様がない。

更に、後のミッドウェー海戦

ミッドウェー海戦は、作戦目的自体が不明瞭で無理があり(わざわざ敵のホームグランドで勝負している)、1つか2つのイフ変えた位では帰趨は変わらない。という事です。

後のレイテ沖海戦も、栗田の「敵前逃亡」を「反転」と偽ってはいけない。

私は前に「海軍刑法で死刑相当」と書きましたが、栗田の責任を追及すると、山本五十六まで遡る。

だから出来なかったのだと思います。