16歳の見習い看護婦が見た生き地獄
女学校を繰り上げ卒業して、嘱託職員の看護婦として勤務していた当時16歳の服部道子さんは1945年8月6日、爆心地から約3.5キロの地点で被爆。
物凄い風圧と白い閃光に、気を失いました。
太陽の熱が6000度ですが、4000度から5000度と言われる原爆の熱戦で多くの人が、眼球が飛び出し、頭髪は抜け落ち、皮膚が溶けてダラダラ垂れ下がる生き地獄の中、看護婦であった服部少女に助けを求めて来ました。
しかし、どんなに「助けて!」と泣き叫ばれても、なすすべもありません。
5人家族の服部さんでしたが、8ヶ月後にお父様が原爆で亡くなります。
服部さんご自身も細胞が放射能にやられて、戦後は病に苦しむ事になります。
さらに詳しくは服部さんのご著書で…。
服部さんは、94歳になる2023年の今も、お元気に講演活動をされています。
しばらくご無沙汰しておりましたが、またお伺いしたいです。
歴史の生き証人として、いつまでも長生きしていただきたい方です。