横沢史穂のブログ

祖父が、ラバウルで負傷した陸軍の傷痍軍人でした。左右のイデオロギーに関係なく、戦争経験者の話を中心に編集したいと思っています。

「個人の生死なんか超越している」日本軍人の死生観

日本精神が無ければ、日本陸軍の本当の偉大さはわからない。

以下は、2020年夏。100歳を目前に亡くなった常盤盛晴 陸軍人大尉のお言葉です。


「個人の生死」なんか越えていなければ、軍人になれない。
「個人の生死」にこだわっているのは三次元の話。
戦場で白兵戦をやって一度、死線(四線)を越えると、意識が四次元、五次元になる。
自分や仲間が死ぬ事も、敵が死ぬ事も、殺す事も、もう何とも思わない。
自分の命とか、死んだ後の世界とか、そんな事も一切考えない。どうでもよくなる。
 
との事。
三、四、五とかけた洒落を交えて、おっしゃっていました。
 
常盤先生は、本土決戦における水際作戦で、敵を撃滅する腹づもりだったそうです。
水際作戦とは、チャンスを得るために危険を覚悟してでも前に出る捨て身の作戦です。
「個人の生死」を超越していなければ、出来ない戦い方です。
 
死の解決こそ仏法ですが、実体・形相・本質に慣れた西洋的発想法では、この日本軍人の死生観は理解出来ないかも知れない。
 
死者の魂が有るか、無いか、は「有」か「無」という三次元の話です。
「有」の反対は「無」。
しかし死の問題を解決した軍人は「有」と「無」を超越して「空」の意識領域に入るのだと思います。
 
己を虚しくして国家の命と己の命を一体化させた軍人は、個人の生死も、あの世が有るか無いかも、超越するのです。