☆「海軍善玉論」が真っ赤な嘘である事の証拠
主敵たるソ連に備える為に、中国大陸での戦線不拡大方針の陸軍とは真逆に、中国との戦線の拡大を訴える米内は、昭和12年(1937年)8月9日に上海の海軍陸戦隊二人が射殺された事を口実に、戦線拡大に乗り出します。
これが閣僚で最初の「南京占領」発言です。
米内は1ヵ月前の盧溝橋事件で生じた軍事衝突を、ここで一気に大きく拡大しようとしたのです。
そして米内は、議会において戦線拡大を主張しただけではなく、8月14日から16日にかけて敵飛行場への渡洋爆撃を独断で強行し、更に上海・蘇州・南昌などへの爆撃を、8月30日まで連日にわたって敢行しました。
これによって米内は、陸軍の意思に背いて戦線が一気に南京まで拡大する道を開く事となります。
つまり米内は、北支で起こった(当初は局地戦だった)軍事衝突をそこで収めようとせずに、戦線を強引に拡大した張本人なのです。
「海軍左派トリオ」の三人とも
薩長ではなく旧幕府方の末裔
しかしこの称賛は、国家を毀損する行為です。
そもそもこのトリオは、明治の軍神 東郷平八郎を嫌悪していました。
山本五十六は長岡。
米内光政は岩手県盛岡。
井上成美は宮城県仙台。
父も祖父も戊辰戦争で殺されていますから。