横沢史穂のブログ

祖父が、ラバウルで負傷した陸軍の傷痍軍人でした。左右のイデオロギーに関係なく、戦争経験者の話を中心に編集したいと思っています。

大東亜戦争は 十分勝てる戦争だった

「あの戦争は十分勝てる戦争だった」

この一言に尽る
 
では何故、「勝てる戦争」に負けたのか?
それは大東亜戦争の(主に海軍の)指導者達は、もはやサムライではなく、サムライの対極に位置する「学校出の偏差値エリートだったから」だと思います(※「偏差値」という言葉自体が出来たのは戦後も大分経ってからですが、本質は同じ事です)。
 
大正デモクラシーの教養を身につけて、日本古来の武士道精神を忘れた「近代人」及び「学校出の偏差値エリートだった」人達が、大東亜戦争の指導者となったのです。
 
陸軍は、中国大陸で中国軍やソ連軍と戦い(ノモンハン事変日本陸軍の大勝利)実戦経験が豊富でしたが、海軍は日本海海戦以来、大きな戦いをほとんど経験していないので、「上層部の官僚化」が特に顕著だったと思います。
 
そもそも「大正デモクラシー」とは「大正共産主義」の別名です。
この大正共産主義が、受験エリートたる当時の日本の知識人階級の頭に入り込みました。 
 
非常に貧しかった時代に「みんなが平等に」という共産主義の思想は、俗耳に入りやすかったのだと思います。
部下達が戦場で英米の兵士と殺し合いをしている最中に、海軍の指導者達が「親英米派」とは、一体どういう事でしょうか。
イギリスが日本海軍生みの親だからそうなるのでしょうが、この海軍上層部の「親英米」ぶりはどうしようもありません。
 
海軍上層部は友軍であるドイツ軍や日本陸軍を憎悪し、敵である英米にむしろ親近感を感じていたのではないでしょうか
 
もしそうだとすると、これはとんでもない大逆です。ありえないほどの国家反逆です。
海軍上層部のエリート官僚達の根底に武士道精神があれば、そんな事にはならなかったと思います。
 
同じ海軍でも、明治の東郷平八郎なら、そんな反逆思想には決して染まらなかったはずです。
 
サムライである東郷平八郎を嫌悪する山本五十六
 
東郷平八郎はお受験エリートではなく「根底に武士道精神を持った海軍軍人」です。
(※東郷平八郎天皇の名代だから、戦闘中でも戦艦三笠の誰からも見える位置に立った。  
山本五十六は、最後まで前線に来ないで後方の安全地帯から戦闘を指揮した。)
 
ちなみに、米内光政・山本五十六・井上成美といった大東亜戦争時の海軍の指導者達は、戦後社会で「三国同盟に反対した親英米派の平和主義者」等と呼ばれて、手放しで称賛されてきましたが、この三名は皆、東郷平八郎を嫌悪していました。
 
武士道精神を忘却した海軍の指導者達
 
海軍の指導者達の精神基底は「英米自由主義」となりましたが、政治家や陸軍の一部の指導者達の精神基底も「ソビエト共産主義」に毒される傾向がありました。
武士道精神を忘却してしまったのです。
(※「ソビエト共産主義」に毒された陸軍軍人の筆頭は、私は瀬島龍三 大佐だと思います)
 
大正デモクラシーの期間に、日本人の根底にあるべき武士道精神を忘却した結果が、大東亜戦争で表面化したのです。
「親英米派」と「親ソ派」。
前者の心の祖国は英米であり、後者の心の祖国はソ連です。
 
この二つが、日本を敗戦に導いた元凶なのです。
 
最大の敗戦責任者は
政府は、近衛文麿 首相
海軍は、山本五十六 大将
陸軍は、瀬島龍三 大佐