横沢史穂のブログ

祖父が、ラバウルで負傷した陸軍の傷痍軍人でした。左右のイデオロギーに関係なく、戦争経験者の話を中心に編集したいと思っています。

明治と違って「文」が「武」の上になった昭和の日本海軍上層

「帝国海軍70年の歴史において、始めから終わりまで一貫した海軍精神が流れていたのではない。
明治の海軍と昭和の海軍は別物である。
昭和の海軍は武士道から背き、商人根性が入り込んで出世を追及する処世術横行だけが支配した事により、戦に勝つ為の真の勉強を怠っていた」
 
高橋眞吾   元 海軍大佐
(第10護衛隊司令/旧海軍兵学校68期。
昭和15年戦艦『伊勢』乗り組み。
昭和20年『イ号第372潜水艦長
多数の敵艦船を撃沈
戦後は、海上自衛隊海将補)
 
 
勝者をつまずかせるのは、外の敵よりも、内なる慢心です。
海軍は日本海海戦以来、(第一次世界大戦時の地中海派遣はありましたが)本格的に大きな海戦をしていません。
 
ですから、上層部が官僚組織化してしまったのです。
そうなると「身内同士での罪のかばい合い」が横行し「身内への責任追及」なんか出来なくなるのです。
だって、自分が失敗した時も目をつむってもらいたいわけだし。
 
「一般人の無能」は悪ではないが、
「指導者の無能」は最高の悪
 
日露戦争の時は、明治維新の生き残りの武士達が戦争を指導しました。
ですから勝負の「カン所」がいいのです。
戦争を始める前に、ケツ決めをしてから戦争を始めました。  
しかしアメリカと戦争した時の日本海軍は、何度も申し上げた様に、受験競争の理系エリート官僚達が指導しました(海軍兵学校や海軍大学の出身者)。 
 
そして明治以降の日本社会では、高度な知識を得た中枢部や上層部ほど、精神面において西洋的な合理主義の影響を受けやすくなっており、こうした秀才エリートは科学技術に精通していますが、人間心理や精神に対する深淵な洞察に乏しいのです。
 
要するに「勝負のカン所」が鈍いのです。
海軍上層部は、ケツを最初に決めないで行き当たりバッタリの指導をしていたのです。
だから負けました。  
 
しかし孫子の兵法にもある通り、勝負というのは始める前に、ケツまでの段取りや準備を最初に全て終わらせておくのが定石。
 
そうすると、勝負が始まった時にはすでに最後の勝利が見えている。これが正しい戦い方です。
 
国益を損ねた真の戦犯(敗戦責任者達)は
海軍上層部
 
そこで、理系の受験エリートの集まりである海軍上層部の作戦指導を見て下さい。 
 
実際の戦場を、海軍兵学校や海軍大学の教室で学んだ事の実験室だと思っているのではないでしょうか。
 
彼ら海軍上層部の受験エリート達は、日本の武士道や兵法を忘れて「学校の勉強」の延長で作戦を指揮した
 
こんな奴らに指導された一般の兵隊さん達は、たまったものではありません。