藤本速雄 先生
『リアル・永遠の0』にして、
『リアル・海賊と呼ばれた男』
藤本先生のご経歴は、「壮絶」の一言に尽きます。
こんなに凄い方にお会いした事はないし、今後も出会う事はない。と思いました。
人間国宝級の方です。
あまりにも凄過ぎて、どこから書いていいのかわかりません。全てを書き切る事は、到底出来ません。
藤本先生のお家にお邪魔しました。
お家のすぐ真裏が海。
瀬戸内海の、物凄く風光明媚な場所です。
こんないい場所に、二世帯でお住まいになられて、本当に高徳な方です。
ゼロ戦での出撃回数170回。
単機で敵機を4機撃墜。
しかも、ゼロ戦が不利になっての4機。
B29の大群にも立ち向かい、F6Fを撃墜した事も。
大東亜戦争最高の武勲艦は、空母瑞鶴。
その瑞鶴 ゼロ戦隊 最後の生き残りが先生。
奇しくもお誕生日は、瑞鶴が沈没した10月25日。
因縁を感じます。
昭和19年(1944年)6月17日。
マリアナ沖海戦で、空母瑞鶴から出撃。
艦爆や艦攻が敵の艦隊に爆弾や魚雷を落とすのを護衛するのが任務です。
先生が所属する第一航空戦隊からは第一波として、128機が各空母から飛び立ちましたが、発艦したゼロ戦は上空1000メートルで旋回して三機編隊のフォーメーションを組みます。
その時、藤本先生が「人生で最も忘れられない」とおっしゃった光景が繰り広げられました。
空母から発艦して上空で旋回している藤本先生が、コクビットから眼下を眺めたら…。
洋上には、何十隻もの日本の軍艦がいます。
その全ての軍艦で、真っ白い海軍服を着た、それこそ何千人か何万人かの将兵が甲板に出て、上空の戦闘機隊に向かって思いっきり手を振ってくれていたそうです。
以下、先生のお言葉
もう、何十隻もの軍艦が全部真っ白になるくらい、みんな一斉に甲板に出て我々に向かって全力で手を振ってくれているのよ。
上空から見たあの光景は感動したねえ。
涙が溢れて止まらんかった。男冥利に尽きるよ。
死んでもええ思うた。
絶対にみんなの期待を裏切れん。自分が犠牲になってでも艦爆隊を守ってみせる。そう思ったわ。
あれが戦争中で、いや、人生で一番忘れられん光景です。
あれは、魚雷に体当たりする気だったのではなく、魚雷の存在を知らせようとして急降下して、そのまま海面に突っ込んだと思うんじゃ。
その後、敵空母に向かうんじゃが…大きな船。マストが見えて来たら、味方が撃ってきたんじゃよ。
大和よ。
わしらは編隊を組んで大和の手前に来たんじゃが、大和はなんと、我々に撃ってきたんじゃ。
「バカ、味方だ。撃つな」
あの射撃を命じたのは、海兵出の指揮官じゃろう。一般の兵隊は自分の判断で撃つ事はないから。
しかし、敵と味方の区別もつかんのじゃから…。
我々は大和の上で編隊を組んで飛んでおったんじゃ。
一体どこの世界に、敵艦の上空で綺麗な編隊を組むバカがおるか。
敵機なら、日本艦隊を見たら急降下で攻撃態勢に入るじゃろう。
ちなみに、大和が初めて戦場で射撃したのが、この時らしいわ。
わしらに撃った同士討ちが最初。だからわしは第一号じゃ(笑)。
わしらベテランは、特攻には回されん。特攻の護衛や。
先に行って敵機を引き付けておいて、その隙に特攻隊を行かせたり…。
特攻隊の出撃は何度も見送ったが、喜んで行った奴なんか、一人もおらん。
特攻隊が編成された時は、整備兵まで完全にやる気を失ってたわ。
出撃の前の晩はみんな、目を真っ赤にしてたわ。
川原に行って、「お母さーん」と言って石を投げてみたり…。
遺書にだって、「私、悲しいです」なんて、書くわけないじゃろ?
みんな、「喜んで行きます」と、ウソを書くに決まっとるやろが。
だがそれにしても、出撃した特攻隊員は立派じゃった。
前の晩にどんなに泣いても、出撃の朝にはみんな笑顔じゃった。
開き直りの笑顔じゃろうが、それにしても偉大な男達じゃった。
繰り返し言う。喜んで特攻に行った奴は一人もおらん。
人間は、1%でも生きる可能性があるから頑張れるんや。
特攻なんかデタラメや。敵艦に命中出来るのは、百機に一機や。
戦争初期は、ゼロ戦が小学6年生なら、相手は小学1年生か2年生や。ところが、後半は敵が高校生。こちらは小学6年生のまま。
しかも敵は大勢で来る。だから小学6年生と高校生数人のケンカじゃ。勝負にならんやろ。
とにかく、撃墜のチャンスなんて、何十回に一回あるかないかや。
撃墜100機とか、絶対ウソや。
ワシはB29を何度も迎撃したわ。行けいう命令やから、行かなしゃあないやろ。けど、まったく勝負にならん。
B29には、単機で立ち向かったらダメやね(笑)
それからワシ、最後の撃墜が喜界島上空じゃ。
(藤本先生に撃墜された)敵のパイロットが海面に落下傘降下したので、ワシは撃たなかった。前にワシが撃墜された時も米軍はワシを撃たなかったので、ワシもそうしてやった。
海面に着水した敵のパイロットの上空でワシは旋回した。「撃たないよ」という合図や。 また、味方が彼を撃ちに来てもかわいそうやから、守ってやったんじゃ。その後、その海面に捜索に行ったもんがおるが、ライフジャケットだけ浮いていて辺りをフカ(サメ)が泳いでいたらしい…。
彼はWブルックいう中尉じゃった。
戦後、彼の遺族から手紙が来て文通したよ。ワシを恨んでない言うよった。
(※戦後に藤本先生はこのWブルック中尉の遺族の方達と一緒に、墜落した洋上でWブルック中尉の慰霊際を挙行します)。
※②に続く