横沢史穂のブログ

祖父が、ラバウルで負傷した陸軍の傷痍軍人でした。左右のイデオロギーに関係なく、戦争経験者の話を中心に編集したいと思っています。

旧軍人インタビュー ⭐️ 鬼哭啾々 比島、ニューギニアの戦い ③

坂上多計二 先生
大正14年(1925年)お生まれ。
台湾ご出身の軍属として、フィリピン・ミンダナオ島ダバオ市郊外の海軍直営農場で120名を指揮して、陸海軍に生鮮食料品を補給する仕事をしていました。
その後、陸軍の第百師団 独立歩兵第百六十三大隊 高橋中隊へ現地入隊しますが、海軍司令部の要請により、陸軍所属のまま海軍直営農場での指導にあたります。
 
坂上先生がいないと、農場が回らないのです。
 
米軍によるミンダナオ島上陸は、翌昭和20年(1945年)5月。
連日の猛爆撃により農作業が出来なくなり、部下を連れて山中に避難します。 
しかし手持ちの食糧は尽き、野草、トカゲ、鳥やサルなど、食べられそうなものは何でも食しました。
 
ジャングルの中は既に死臭が漂い、目と口元に白いウジが産卵して、さながら微笑んでいるかのように死んでる友軍兵士…。
部下も栄養失調でやせ細り、次々とジャングルの露に…。
ある時、弱った友軍兵士が「泊めてくれ」と来たが、こちらも極限状態の為に残念ながらその余裕はありません。
悲しい顔で立ち去ったその兵士は、翌日にはすぐ近くで亡くなっていました。
まさに鬼哭啾々…。
 
「現在、日本政府は周辺諸国の脅威を強調し、『緊急事態条項』を憲法に盛り込む事に必死です。
ここに、総理大臣に権力を集中させる危険性がある事を敏感に察知するのは、戦争経験者のカンです。私は老骨に鞭打ち、この危険を訴えたいと思っています」
 
その様におっしゃってました。
 
2023年 98歳時インタビュー

https://youtu.be/St4EmbJK0vE?si=xW64pZn6lnd8mrxX