岩崎高明 先生
※①の続き
全部で三機を(比島に)持って帰って…。
海軍の飛行場がマニラにあって、海軍さんのは滑走路が長かったんです。
(そこに着陸したら)海軍さんが喜んで、海軍さんが百式を使うようになって…。
ま、取られたというと変だけど、そういう事だと思いますよ。
海軍の飛行場では、陸海軍一緒にやって、懇意にしましたよ。
最後には、陸軍も海軍も(いがみ合いは)無かったなあ…。
私が最後に連合艦隊の姿を見たのは、スリガオ海峡です。
艦隊が海峡を通過する時に、我々が上空を飛んで警護していたんです。
ミンダナオ島にいたのが、あそこを通ってスリガオを抜けて太洋に出て決戦をやったでしょ。
「見送れ」というので見送ったのです。
ええ、大艦隊は壮観でしたよ。
連合艦隊の進路に敵が来ないように、早く言えば「見てろ」と。そういう事です。
前方に敵の潜水艦がいないかとか、そういう事を知らせるんです。
つゆ払いと言ったら変ですが…。
向こうは日本が出て来るのを見てるわけですからね。
本土決戦? ええ、やるつもりでしたね。
「何で止めちゃうんだ」と思いましたよ。
一旦死ぬ覚悟を決めたら、1トン爆弾で死ぬのも10トン爆弾で死ぬのも、同じですよ。
私は戦死してないのに、戦死公報が家に届いたのです。
ですから、母は私が戦死したと思っていたようで…。
私が戦場から帰ってきて、この家に黙って帰宅して台所に立ったら…。
母と目が合いました。
次の瞬間、母が台所から一目散に私に駆け寄ってくれましたね…。
そこの台所です。
…先生のお家は、築200年か300年の藁葺き屋根の立派な家屋です。
先祖と共に、伝統と共に生きて来られたのが、心底羨ましかったです。
最近まで地元の警察署の剣道の指南役をされておられたとの事で、取材時95歳の時点で、背筋がピンと伸びていたのが印象的でした。
平成30年(2018年)1月29日 逝去
享年96歳
心よりご冥福をお祈り申し上げます。