※③の続き
その石井先生…。
2018年5月にガンで入院され、私は何度かお見舞いにお邪魔させていただきました。
以下、私への先生の最後のお言葉。
私とのやり取り。
「我々は士官学校を出た時から死生観は出来ていますし、死については達観していますよ。
戦争で我々の仲間も大勢死んでますからね。
まあ、ガンと言われたら、普通はあと半年ですよ。あなたそう思わない?(笑)」
「そんな事をおっしゃらないで長生きして下さい。
「生きてます。牛島さんも阿南閣下も立派な方です」
「先生は牛島チルドレン。阿南チルドレンですね(笑)」
「お二人は立派な武士です。あなた(私横沢の事)も武士道精神を持って下さい。これ私の遺言です」
…私、石井先生からご遺言を託されました。光栄の極みです。
石井豊喜 陸軍大尉殿。
2018年9月4日。
牛島閣下と阿南閣下の下に、旅立たれました。
きっと士官学校校長の牛島閣下と、70数年ぶりの師弟の再会を果されていると思います。
正直、私も先生の後を追いたい。
軍人さんが亡くなる度に、そう思います。
訃報に接する度に、五体が裂かれる思いです。
ただ、ご遺言を託された以上、それを果たすまでは「生の責任」を放棄するわけにはいかない。
つくづく思います。
死ぬよりも、生きて責任を果たす方が遥かに大変です。
だからもしもあの世とやらがあって、いつか私があちらに行って石井先生と再会した時に、「ご遺言を果しましたよ」と言える様な生き方をしなければいけない。
また、そもそも死は別れではありません。
死者と生者は一体です。
なぜなら、石井先生の魂は私の中で永遠に生き続けているからです。
日本精神の極致とは、死者と生者が一体になる事。
我らは現界にありて、死者は幽界にありて力を合わせ、悠久の大義と一体化する事。
死生一如の妙境に生きる事が日本精神の根幹です。
即ち、死生一如…。
そこにおいては死者と生者の境目はあいまいであり、両者は渾然一体ですから。
ある方が、こう言っていました。
「その死者を想い出した時に、自分の胸の中にその死者の魂が蘇る。
それが霊界なんです。
霊界というのは、どこか向こうの世界にあるのではないんです。
日常生活と共に、と言うより、我々自身の胸の中に霊界があるんです」
これが柳田國男先生が説いた日本人の死生観です。
ですから私も、石井先生の日本精神を我が胸に刻み、追憶する限り、石井先生は亡くなってはいないのではないでしょうか。
石井先生は今でも、私の中で生きています。
たまたま心臓の鼓動が止まっただけ。
死でさえも、私と石井先生の仲を引き裂く事は出来ない。
石井先生は亡くなってはいなかった。
↓ 石井先生のインタビュー動画