※③の続き
牛島司令長官も「沖縄県民ほど献身的な国民はいない」と言い遺しています。
韓国や台湾もそうなのでしょうが、沖縄の様に後から本国に編入されてしかも中央から離れた遠く辺境の地にいる人達というのは、大きく二つのパターンに分かれるそうです。
日本を例に取ると、一つは…。
そしてもう一つは…。
「後から編入されたからこそ、日本人以上に日本人になろうとする人達」
です。
これはあくまで私見ですが、戦争中の沖縄の方達は、後者の人達が多かったのではないかと思います。
(マインドコントロールされていたと言われればそれまでですが…)
「しかも若き婦人は率先軍に身を捧げ、看護婦、炊事婦はもとより砲弾運び、挺身斬り込み隊すら申し出るものあり」
「看護婦に至りては軍移動に際し、衛生兵既に出発し身寄り無き重傷者を助けて…」
「沖縄県民斯く戦えり。県民に対し後世特別のご高配を賜らんことを」
東江先生のお話をお聞きしていて、気付いた事があります。
そもそも米軍としては、沖縄は元々日本ではないから県民は軍から離間し、全島を1ヵ月前後で占領出来ると予測していました。
しかし沖縄県民は女も子供も日本軍と共に一丸となって戦い、何と敵将バックナー中将まで討ち取り、最終的には米軍に死傷者約6万5600人もの大損害を与えて、日本本土上陸を目指す米軍を足止めしました。
「沖縄県民は軍から離れる」
とか
「全島を1ヵ月で占領出来る」
とか、たわごと以外の何物でもありません。
ちなみにこの戦死傷者数は確か、米軍史上最悪の数字だったと思います。
米軍の日本本土上陸にためらいが生じて当然です。
という事は、
「(日本軍と共に)沖縄県民こそが、日本本土を守ってくれたのだ」
「戦争で生き残った日本本土の人間は、亡くなった沖縄県民に感謝しなければいけない」
東江先生から色々なお話しを聞き、遅まきながらこの事実に気付かされました。
以下、東江先生の言葉。
それが、亡くなったウチナー同胞への手向けです。
帰ったら、沖縄の東江がそう申してたと、ヤマトの皆さんにお伝え下さい…。
東江芳隆 先生
平成26年(2014年)2月21日 89歳 永眠
合掌...