横沢史穂のブログ

祖父が、ラバウルで負傷した陸軍の傷痍軍人でした。左右のイデオロギーに関係なく、戦争経験者の話を中心に編集したいと思っています。

日本精神とは「文」と「武」から成り立つ 〜精神の戦いこそ全て〜

ちなみに現在、「日本の精神を守る」「精神の戦いに勝つ」という目的を掲げている団体や個人は、あまり見かけません。
 
尖閣の様な外からの物理的な侵略には抗議しても、精神侵略には無関心です。
つまり多くの日本人は、何事も「物」や「形」にしか関心がいかない共産主義に洗脳されているわけです。
 
文化にせよ精神にせよ伝統にせよ、目に見えないもの。
つまり今の日本は「目に見える物理的・即物的なもの」しか、もはや興味関心の対象ではなくなってしまったのです。
 
戦後日本は長らく「日本の伝統文化の防衛」や「日本精神の防衛」という事を全く無視してきた、と改めて思いました。  
 
保守派の政治家も、政治的な事は言うクセに「文化的侵略」「精神侵略」についてはあまり言及しません。全く無防備なのです。
 
誰もやらないからこそ、今こそこれをやるべき秋(とき)だと思います。 
 
また、「日本文化」と言えば、歌舞伎とか能といった、実生活からかけ離れた博物館的なものや、和食や和服といった無害なものしか思い付かない人が多いのではないでしょうか。  
 
しかし、それだけですと皮相的です。
 
三島由紀夫先生いわく…。 
アメリカの文化人類学ルース・ベネディクトが喝破した「菊と刀」の「文武」が日本の伝統精神。
 
日本精神とは「文」と「武」から成り立つ 
 
「文」と「武」は車の両輪
 
しかし戦後の日本では「文」即ち歌舞伎とか能とか和食といった「無害なもの」は存続を許されましたが、「武士道精神」や「大和魂」といった日本精神的なものは、西洋崇拝的な大正デモクラシーマインドの官僚達によって「危険なモノ」「アジア的で野蛮なモノ」として、タブー視されてきました。 
 
つまり戦後の日本の文化は「武」の部分が毒抜きされて、「無害なもの」しか残されないように、社会の仕組みが変えられていったという事です。
 
私は政治の戦いに参加しない
精神の戦いにのみ剣を使いたい
 
…以上が三島由紀夫先生のご指摘ですが、これを読んだ時に、本当に目から鱗が落ちる思いでした。