横沢史穂のブログ

祖父が、ラバウルで負傷した陸軍の傷痍軍人でした。左右のイデオロギーに関係なく、戦争経験者の話を中心に編集したいと思っています。

「日本的な世界観」を切り捨てた文明開化や大正デモクラシー

日本においては、

根元たる民族生命の個的顕現が「個人」

全体から隔離された「個人」なんて無い

無限生命たる先祖の霊と直結する以上の幸福は無し

日本において「無我」とは中心帰一の事であり、具体的には、個人の生命の根元・始源たる大生命への回帰。
有限である自己の生命が湧出する根元たる無限生命への、本質的直感による帰巣本能。
言葉で表現すると、こういう感じでしょうか。  

人間は先祖とのつながりで生きている。
それをスッ飛ばした「個人の自由」で生きているわけではない。

個人の基盤の上に立つ自由主義
民族の悠久生命の上に立つ日本的生命観
 
大正デモクラシーの洗礼を受けたインテリは、
西洋的理性に対する奴隷的信奉者
 
武士道や切腹といった伝統的な日本精神は、
彼らにとって憎悪の対象でしかない
 
切腹に代表される武士道が、 
「未開のアジアの蛮風」に見える大正デモクラシー

 「大正デモクラシー」とは「大正コミュニズム」「大正共産主義」の別名であり、この大正デモクラシーが、今日の日本の文化的退廃に繋がります。

武士道否定、乃木希典嫌悪、西洋礼賛、性の解放、男女の不倫礼賛…。
今日に直結しているこれらの反日的な諸々は、全て大正デモクラシーに端を発します。

その根源に辿ると、当時のグローバルスタンダードに合わせた反日的な文明開化に遡る。
 
つまり、諸悪の根源は、明治初頭の西洋崇拝政策にあると思います。

それが地下水脈的な流れとなって、西洋の猿真似的な鹿鳴館マインドを経て、近代啓蒙思想大正デモクラシーにつながっていき、この大正デモクラシー的な左翼共産思想が、戦後の日本社会の土台になっているというのが、私の持論です。