横沢史穂のブログ

祖父が、ラバウルで負傷した陸軍の傷痍軍人でした。左右のイデオロギーに関係なく、戦争経験者の話を中心に編集したいと思っています。

「性の解放」は、共産勢力による文化的なテロリズム

性の開放や先祖否定、伝統否定、男女の性差の取っ払い、フリーセックスの推奨…。   

全部、フランクフルト学派が仕掛けた日本精神破壊の為の共産革命アイテムです

そしてこれらは、日本精神を破壊する凶器以外の何物でもありません。

しかし、彼らが明確に「最大の使命は精神侵略」と言っているのに、日本の政治家は政治と経済しか見ていません。
(余談ですが「国境なきグローバリズム」という資本主義の用語も、実は形を変えた共産主義であり、現代のインターナショナリズム
つまり資本主義と共産主義は、異腹の兄弟なのです)。

とにかく、学校教育やメディアを駆使して、歴史や民族の英知に裏付けられた伝統を破壊するのが、彼らの戦術です。
しかし、全体生命から切り離された「個人」なんてありません。
いま我々が手にしている全てのものは、歴史から生まれたもの。
我々人間は、他から隔絶された「絶対的な個」として存在するものではないのです。
誰一人として単体でこの世に生まれたものではなく、民族生命の分派として存在しています。 

物質世界にのみ生きたら、畜生地獄へ…

「精神が一切ない。物しかない」が共産主義。 
本来の日本は真逆。

ですが今の個人主義は、「生命のつながり」つまり歴史や伝統を無視している。 
個人の命の根源である先祖や歴史や伝統から離れて、各個人が細分化されて独立する事を進歩と勘違いしている。
いや、させられている。
 
要するに、「歴史や伝統を持たない人間」に改造するのが、共産主義フランクフルト学派の目的です。
 
しかし本当は、歴史ある伝統にこそ、民族の血と涙の知恵が凝縮されています。
「過去からの連続性」つまり伝統こそ、国民精神と国家興隆の源なのです。

「全体生命」から切り離された「個人」なんて無い

いま我々が手にしている全てのものは、歴史を離れて存在するものではない。
我々人間は、他から隔絶された「絶対的な個」として存在するものではない。

我一個として、単独でこの世に生まれて単独で存在しているものではなく、民族生命の分派として存在していますが、個人主義は「命のつながり」を無視しているのです。

しかし、人類生命の始源を想望するのが生命の本燃なのです。

そして民族の元々持っているこの生命観・世界観・宇宙観は、人工的な理性以前の、人間存在の根底を成すものです。