三島由紀夫 先生は長らく、私の憧れであり、理想であり、夢であり、青春であり、華であり、私の中のヒーローでした。
私は他の小説はほとんど読まないのですが、三島由紀夫 先生に関してだけは高校時代から大ファンで、2005年に割腹自決した私の最初の師匠である三浦重周 先生主宰の『三島由紀夫研究会』にも高校時代から出入りしており、新潮文庫から出版されている三島先生の小説と戯曲は、ほとんど読みました(20年近くかかりましたが…)。
正しく美しい國語こそ、
倫理道徳の基にして、民族精神の源
三島先生のあの、抜き身の刃物の様に鋭い精緻な文筆力。
即ち、魔術師の様に言葉を変幻自在に巧みに駆使する華麗な文体、透かし絵を上からなぞるような的確な筆致、鬼気迫る天才的な表現力…。
これらのアクロバチックなまでの文章構成はもはや言葉の芸術であり、中でも特徴的な、「そうではないという事が、どうして言えるであろうか」等といったあの逆説的な反語の言い回しが、特に好きでした。
巧みにして流麗なあの文体は、まさに言葉の大伽藍。
巧みにして流麗なあの文体は、まさに言葉の大伽藍。
また、その作品群の壮大な世界観。
未来への予言能力。
世界中の学問が凝縮したかの様な博覧強記、
霊的なインスピレーション能力。
本人の偏愛体質。
昭和史と自身の人生の歩みを一にするその共時的な時代性。
昭和への殉教者の様なその悲劇性、
日本的価値観への親和性…。
どれを取っても三島先生こそ日本史上最高の文学者であり、作家の枠に収まらない世界的な天才だと私は思います。
「死を覚悟しないと魂が宿らない」
「命を賭けずに書けるか」
「戦いはただ一回だけであり、生死を賭けた戦いでなければならぬ。生死を賭けた戦いの後に判定を下すのは歴史である」
…三島先生の言葉ですが、物凄く日本的気迫に満ちた文章です。
言葉による決闘にして、言葉の芸術。
精緻極まる文体によって切り開かれた新しい世界観。
「戦いはただ一回だけであり、生死を賭けた戦いでなければならぬ。生死を賭けた戦いの後に判定を下すのは歴史である」
…三島先生の言葉ですが、物凄く日本的気迫に満ちた文章です。
言葉による決闘にして、言葉の芸術。
精緻極まる文体によって切り開かれた新しい世界観。
真の芸術の先には必ず神があり、
それは死を通じてこそ見えて来る
三島先生の作品は、ほとんどそういった狂気性の世界だと思います。
ただ、文章が極めて難解な為に私は何度もことごとくハネ返され、高校生・大学生の私程度の読解力ではほとんど歯が立たず、ある程度どうにか読めるようになったのは、社会人になってからです。