戦後の日本は、戦没者への「鎮魂」が済んでいない ☆ 横沢史穂

明治生まれの祖父が、陸軍の傷痍軍人でした。百万人の陸軍将兵が敵と戦う前に餓死・戦病死させられたあの戦争。その責任がある山本五十六達の敗戦責任を明確にする事こそ、全戦没者への「鎮魂」ですが、戦後日本は「鎮魂」が済んでいない。更に現代の「毒親」も追及します。

斉藤由貴さんの『卒業』こそ、まさに現代の古今和歌集 ③

忍ぶ恋こそ 至極なれ  

後の煙に それと知れ 

 

 少し時間軸がズレますが、18世紀の『葉隠』いわく、

 「恋の至極は 忍ぶ恋と見立て申し候」

 「逢ひてからは 恋のタケが低し」

との事。

 

 少し忍ぶ恋こそ 至極なれ 

 後の煙にそれと知れ 

 つひにもらさぬ 中の思ひは

 

 全く同感です。言葉に出すと軽くなる。自分の気持ちは、言葉なんかでは言い表せられない。

 

 これが古来からの日本人の恋愛観だと思います。

 

古今和歌集が成立した平安時代の恋も

「忍ぶ恋こそ美しい」

 

 日本神話に出てくる、日本最初の夫婦である 伊邪那岐命イザナギノミコト)」と「伊邪那美命イザナミノミコト)」の国産みの物語も、女神が受け身に立っています。

 

 古今和歌集が成立した平安時代の恋も「女性が受け身的に待つ」事がスタンダードであり、「忍ぶ恋こそ美しい」と、されました。

 恋心を具体的に打ち明けないのが骨子。

 『卒業』が流行った昭和の最末期も、しかり。 

 しかし性の解放が行き着く所まで行き着いた21世紀の現代では、会えない辛さもない代わりに、獲得の喜びも、恋の刺激的な緊張も薄れました。

 ところが、『卒業』のこの時代はまだ、男と女は互いの領分をキチンと守っていたので、愛情を直接に表現しないで、(危険な博打ですが)わざと怒っているフリをしたり、わざと興味がないフリをしたり、わざと冷たくしたりしていました。

 

 そして実はこの、愛の小芝居・ウソの技巧・愛の瀬戸際外交こそが、実は彼に対する最大の愛情表現だったのです。

 まさに『卒業』のテイスト。

 

優雅な国語を駆使した『卒業』は、

和歌や漢詩の修辞の高度な技法が、

アクロバチックなまでに

随所に張り巡らされている

 

 つまり、好きだからこそ、本音とは真逆の事を言うのが日本人の美徳でした。

 

要するに日本人のコミニュケーションは、本音は言わないのです。

本音と建前を使い分けるのが日本人です。 

だから聞き手は、相手の言葉の裏や行間を読まないといけなかった。 

 

少なくとも『卒業』が流行った頃はそうでした。

「あうんの呼吸」です。

『卒業』にもそういうくだりが出て来ますが、愛を直接的に表現しない奥ゆかしさ、別の表現で愛を遠回しに伝えるこの技巧こそ平安以来の日本人の恋心であり、この『卒業』の世界観こそ、教科書に載せるべき大和撫子マインドの鑑です。

 

『卒業』は当時、大ヒットしたらしいのですが、こういう「大和撫子マインドを評価する素地」が、当時はまだ社会に残っていたという事です。

 

 とにかく、相手の言葉を額面通りに受け止めないで、その先を推測したり、あえて反対の解釈をしたりして、相手の言葉の裏を深読みするのが、日本文化の特徴。

 

 抽象的な文言の行間を深読みし、そのニュアンスを重んじるのが日本的芸術。 

 

 まさに「古今和歌集 恋歌」の世界です。

 

「相手の言葉を、額面通りに受け止めない。

むしろ、あえて反対の解釈をしたりする」

 

 日本独自の対人コミュニケーションの視点で、この『卒業』の歌詞をもう一度読んで下さい。

 

 「物事を直接ハッキリ言わない」

 「言葉の裏の真意を逆読みする」

という、日本独自の対人コミュニケーション法を、見事に実践しています。

 「あうんの呼吸」であり、禅問答と言ってと言いかも知れない。

 つまり1から10まで聞いたり、根掘り葉掘り聞かないでも、やり取りするのが本来の日本人なのです。