戦後の日本は、戦没者への「鎮魂」が済んでいない ☆ 横沢史穂

明治生まれの祖父が、陸軍の傷痍軍人でした。百万人の陸軍将兵が敵と戦う前に餓死・戦病死させられたあの戦争。その責任がある山本五十六達の敗戦責任を明確にする事こそ、全戦没者への「鎮魂」ですが、戦後日本は「鎮魂」が済んでいない。更に現代の「毒親」も追及します。

「言論の自由」こそ自由社会の要諦

反対意見者の「言論の自由」を尊重する事が
自由社会の基本
 
アメリカを見ればわかる通り、自由社会では、政府への批判も保障されている。
 
日本国憲法でも、その自由は基本的人権として保障されている。
 
「政府や自衛隊への批判は、一切許さない」
となったら、全体主義国家の北朝鮮旧ソ連と一緒です。
言論の自由」は、自由社会の基本。
これこそ最後の砦。
憲法97条にある如く、
「人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果」
 
アメリカはベトナム戦争中も、国内で大規模なベトナム反戦運動を許していた。
それが自由の国アメリカ。
 
言論統制されたら、自由社会は終わる…。
日本国憲法も終わる…。
 
立法府での言論の自由こそ 議会政治の根幹
 
もちろん、戦前にも言論の自由はあった。
 
1940年2月の斎藤隆夫 議員の「反軍演説」を見よ。
 
しかしその後、この為に斎藤議員は辞職させられた。
その後すぐ、全体主義的な大政翼賛会が成立。
 
この時が戦前日本の「議会政治の死」です。
翻って現代は…。