横沢史穂のブログ

祖父が、ラバウルで負傷した陸軍の傷痍軍人でした。左右のイデオロギーに関係なく、戦争経験者の話を中心に編集したいと思っています。

戦争経験者の方達のお言葉集 ⭐️ 戦前世代、魂の名言 ⑤

特攻なんて、愚策中の愚策。

美化するんなんて、とんでもない。
特攻を発案して命じた指揮官は、己の無能をさらけ出しているだけ。
破れかぶれの攻撃を下に押し付けた責任は重い。
どうしても特攻に行きたいなら。命じた指揮官が自分一人で行け。
少なくとも、俺の部下からは絶対に出させなかった」(小埜隆 陸軍大尉)

朝鮮人て、売春婦になるのは名誉な事なんだよ。だから、売春婦(慰安婦)の銅像を世界あちこちに、誇らし気に建てているんだよ。  
彼女達も、私達は売春しましたと、大統領にも堂々と会ってそれが美談として報じられてる。
売春を自慢する文化なんだよ。 
日本人ならとても出来ないよ」 (常盤盛晴 陸軍大尉)

「昔は士農工商の順番に、人間が尊敬されてきた。   戦後は真逆になっちゃって、商が一番尊敬されて、士が一番低く見られている」(常盤盛晴 陸軍大尉)

「民主主義って一番下に合わせるから、水は低きに流れる原理で、どうしても衆愚になるよな」(ある戦争経験者)

「横沢さんは、戦前世代の声を後世につなげようとしていますね。
横沢さんがやろうとしている事の果てに、多くの人の幸せがあるか。それを考えて下さい」(ある戦争経験者) 

「本土の人達は、ひたすらアメリカに追随する事を持って『愛国』とか『保守』と勘違いしている」(沖縄戦を戦ったある沖縄の方)

「大陸から帰ってきて戦後の焼け跡を見た時よりも、今の日本を見る方が絶望を感じます」(小埜隆 陸軍大尉)

戦争経験者の方達のお言葉集 ⭐️ 戦前世代、魂の名言 ④

私は、かつての陸軍軍人や陸上自衛官、ぜひお聞きしたい事がありました。

昭和45年(1970年)11月25日の「三島由紀夫 事件」についてです。
私がヒアリングしたお三方の意見です。
 
陸軍士官学校を出て実戦を経験した後、 
陸上自衛隊に入隊された人のお話
 
ダメダメ。あの人は視野が狭いでしょう。
軍事というのは、全体で考えなければいけないんです。
あの人は軍事も戦争もわかっていない。
総監を人質に取って、俺の言う事を聞かなきゃ総監殺すぞ。なんて、そんなの通らないですよ。
切腹したいなら一人で自宅でやってくれ。と言いたいです。
悲劇的な美学に自分で酔いしれているんです」
 
事件当時その場にいた
防衛大学校出身の自衛官のお話

三島事件なんて、とんでもない。
みんなでヤジを飛ばしてました。
あの時、止めに入った隊員が三島由紀夫に刀で斬られています。
自衛隊というのは綱紀厳正で、遵法精神が徹底されているんです。
彼らの殺傷行為を、支持なんてするわけないでしょ。全く話になりません。
あれは小説を地で行ったんですよ。彼の愛国心には、違う音階を感じます。
人工的に作られた、彼の美学に彩られた歪んだ愛国心です。
当時、自衛官だった人達はみんな怒っていました。 旧陸軍から自衛隊に行った人も怒っていました」
 
陸軍士官学校を出て実戦を経験した後、
戦後は会社経営者になった人のお話

自衛隊は武士じゃなくて公務員でしょぅ。
実戦で戦うなんて出来ないよ。
私は実際に戦場で殺り合っているからわかるんだよ。 
その点、私は三島由紀夫は立派だと思う。
自衛隊が、そんなに三島由紀夫が許せないと言うなら、その場で三島由紀夫を殺せばいいじゃねぇか。自衛隊が本当に武士なら、その場で殺せよ」

戦争経験者の方達のお言葉集 ⭐️ 戦前世代、魂の名言 ③

「あの戦争はすべきではなかった。悔しいけれどそれは認めます。負ける戦争は絶対に避けなれればいけない。
ただ、近くの災いを避けようとする人間は、後の大患を知らない。
その両方を秤にかけて、判断しないと駄目です」 (ある陸軍士官学校出身者)

西洋は「主義」の國。
日本は「精神」の國   (常盤盛晴 陸軍大尉)

「3月10日の東京大空襲で亡くなった10万人の方達には、語るすべがないのです。

だから、生き残った我々が語り継ぐ事が使命です。いかなる時も忘れない。

かすれ声でも、声を上げ続けます」(東京大空襲を経験した清岡美知子さん)


「今の風潮は、自由ではなく、わがまま。
死生観は、士官学校を出た時に決まってますからね。
軍人精神が身に付くと、個人が生きるとか死ぬとかいう次元を超えてるんです。

自分の命なんて、超越するんです。

人間には生命以上の価値がありますからね。軍人はその、生命以上の価値を守る事が仕事なんです」(ある陸軍将校)

 
「戦後日本が国是とする生命尊重とは、命乞いの事でしょう。
命を守る為なら、辱めだろうと何でもいいという事でしょう。
では、もし婦人自衛官が戦場で捕虜になって、『慰安婦になれば命だけは助けてやる』と敵軍に言われた場合、どうするのか。

命が助かるなら、慰安婦になるんでしょうか。
しかし『生命が守れたらそれでいい』といった考えは、人間の動物化ではないのでしょうか」(ある陸軍将校)

戦争経験者の方達のお言葉集 ⭐️ 戦前世代、魂の名言 ②

「当時の妻は、終戦時に主人が自決すると言ったら、自分も一緒に自決したと思います。

当時はみんな、負けたら死ぬ覚悟でしたもの。
ただ、やはりそれは『負けたその時』じゃないとダメですね。時間が経ったら、難しいと思います
だから戦後、進駐してきた米兵を見てカッコいいと思いました(笑) 人間て、そんなものです(笑) 
GHQの精神侵略から日本の精神や文化を守らなければ、とかはなかったです。
とにかく、その日を生きるのに精一杯なんですよ」(空襲経験者の女性)
                       
「人生は、先に苦労しとかないと駄目。それが後で肥やしになるから。
人生、死んで終わりじゃないんだよ。
デタラメな生き方していても、ちゃんと最後には帳尻が合うんだよ。
テレビの芸人を見てご覧。
ありゃ、男は与太者で女は売春婦だよ。
簡単に別れて次々と相手を変えてまた簡単に子供産んで…。そんなのみんな死んだら地獄行きだよ。
人生、上がる時は倍の努力が必要だけど、下がるのは簡単なんだよ」(ある軍人さん)

「私の連隊には3000人いて、私はその手紙を検閲する立場だったんですけど…。
3000人のうち、2800人から2900人は小学校しか出ていない。
だけど、書かれた手紙はみんな字が綺麗で、中身も立派でした。
昔は小卒でも漢詩を作れたからね。
大学というのは、研究する場所。
だから教育は小学校の12歳までにやらないとダメ。
方言だって12歳までに身についたものが抜けないんだから」(常盤盛晴 陸軍大尉)
 
「男らしさの喪失が、DVの増加を産むんだ」(ある戦争経験者)

「戦争は、その足音が聞こえないうちにやって来ます。だから耳をそばだてて、世の動きに敏感にならなければダメなんです」(ある戦争経験者)

特攻隊の生き残りから学校の先生になった織茂領 先生が、不良でツッパリの教え子達を諭して…。
「中途半端な事は止めろ。
その代わり、覚えときな。いいかい。
男がツッパる時っていうのは、命を賭けてツッパるんだよ」
 
「負け戦の悲惨さを考えずに戦争を美化する人間の話は、信用できない」(陸軍軍人 坂上多計二 先生)

「ヤンキー魂というのは、大したもんよ。大和魂に負けんもの持ってるよ。
ある部分では向こうの方が上かも知れない」(紫電改パイロット 笠井智一 先生)

「日本人の精神の衰退は、明らかに戦前世代の減少に比例していると思います」(ある戦争経験者)

「人生の縁とか運命って、自由意志で選んでいるように見えて、実は見えない何かに引っ張られて、支配されていると思います」(ある戦争経験者の方)

Q「終戦後10年くらいは、食べて行くのに精一杯で、子の世代に日本精神を伝えるという事まで、手が回らなかった。
しかし食べ物を後回しにしても、日本精神を次の世代の子供達に伝える事を優先するべきでした。
後になって、しまった!と思ったけど遅かった」
(ある陸軍軍人)

「(敵兵を)肩から斬ったのでは死にません。斬るのではなく、突かないと。
だいたい、三回突いたら死にます。
(中国大陸では)死んだ敵兵も、埋めてあげました。死んだらお互いの遺恨は無しです」(常盤盛晴 陸軍大尉)

陸軍士官学校で最初に教わったのは、切腹です」(ある陸軍士官)
 
「実戦を経験すると、個人の生死なんて超越するんです。意識が五次元になるんです。
死線(四線)を越えて、五次元になる(笑)」(常盤盛晴 陸軍大尉)

「知識を教える前に心や覚悟を教えるべきです。
だいたい知識とか理性崇拝とか言っている時点で、心が無いです。
しかし人間。心がある奴には勝てないです。
その点、武士。日本陸軍は覚悟を決めています」(ある陸軍軍人)

戦争経験者の方達のお言葉集 ⭐️ 戦前世代、魂の名言 ①

90歳以上の戦争経験者の知恵

こんな偉大な人達、もう出て来ない
 
軍人さんや戦争経験者の方達のお言葉の、一言一言が重い事…。

両の手に余るほどの芳醇なお言葉が、次から次へと鮮やかな発想を紡ぎ出す、重く美しい言葉たち…。

虚飾を排した珠玉の言の葉を、ご紹介いたします。

西洋的な弱肉強食とは逆に「どこまで弱者に寄り添えるか」に強さを見出すのが日本人だと思います。(ある戦争経験者)

「地方にはまだ日本の伝統は息づいていますが…。
東京の若い人達には、日本人である事を止めたのか。と言いたいです」(ある戦争経験者)

「相手が刃物や銃を向けてきたら、逃げずに逆に飛び込むのが武士」(ある戦争経験者)

「戦争を知らない人間ほど、戦争を美化するんだ。
 戦争というのは、想像を絶する生き地獄なんだ」
(ゼロ戦パイロット 原田要 先生)
 
「本当は嫌だったけど、仕方ないから特攻隊を申し出て特攻機のコックピットに座ったんですが、離陸前に両親を思い出して涙が出ました。 
離陸寸前に特攻出撃が中止になったのですが…。 一晩あけたら、逆にもう特攻が自分から抜けないんです。
早く特攻に行かせろ。俺は特攻隊なんだ。今さら中止なんて言うな。仲間はみんな突っ込んだんだ。早く出撃させろ。
こうなっちゃったんですよ」(元・海軍特攻隊の田中三也 先生)

「自分の夢を追うのはいいですけど、その夢が実現したその先に『多くの人の幸せがあるのか』という事を、若い人には常に考えていてもらいたいですね」(ある戦争経験者)

「私が戦場で生き延びた秘訣ですか? 
いつ死んでもいいと、腹をくくった事が逆に良かったのだと思います。
死ぬ覚悟を決めたら、逆に敵の弾がどこに飛んでくるかわかるようになりました。怖がっていたら、逆にやられていたと思います」(元 那覇市議会議員 海軍軍人 東江芳隆 先生)

「戦争というのは、どんなに優秀な兵器を持っていたって、それだけじゃ駄目なんだよ。
死を賭して戦う時のみ、勝機が訪れるんだよ。
だからアメリカはあれだけ武器があったって、日本陸軍相手に正面から、白兵戦ではなかなか挑んで来ないんだよ」(陸軍軍人 常盤盛晴 先生

こういうお言葉は、パソコンで画面に写しても平面的だからあまり感興は伝わらないかも知れませんが、実際に敵兵と戦ってきた方が口にすると、物凄く重みがあります。

「軍人になった時から、命を捨てていました。畳の上で死ねると思っていませんでした。それじゃなかったら、軍人になんかなれないですよ」(陸軍軍人)

「『職業軍人』なんていう言葉。これほどの侮辱はない。あれは、戦後のマスコミが勝手に作ったんだ。我々軍人は国に命を捧げているんだ。商売でやったんじゃない」(陸軍軍人)
                      
「死に場所がない今の日本の男性は、逆にかわいそうです」(ある軍人さんの奥様)

「人間は愚かなのかも知れません。
一世代たつと、親の苦労も忘れちゃうんです。 
だから、子供と言えど、次世代が怖い。  
若者は、戦争や兵器がカッコいいとか、そんな事を言い出しちゃうんです」(東京大空襲 経験者

「最近、オリンピックの報道で、金メダルを何個取れるかというのが、騒がれているでしょ。
しかし、特に柔道や剣道なんていうのは、『メダルを取る事』だけではなく『精神を磨く事』も目的にすべきだと思いますね」(ある軍人)

硫黄島 敵も味方もないノーサイド 『名誉の再会』

硫黄島 記念碑 『名誉の再会』
勝者の側から日本側に手を差し伸べた


世界唯一の、戦った両軍同士の慰霊碑が、硫黄島にあります。私も撮影しましたが、それが『名誉の再会』記念碑です。
1983年に、当時参戦した米海兵側から、

「間もなく40年経つし、お互い今度は同士として再会しよう」
と、申入れがあり、それが政府を経て日本側の『硫黄島協会』に届きました。

そして決戦から40年にあたる1985年、硫黄島の米軍上陸地点に当時の日米両軍の兵士達が集まったのです。
 
米海兵も立派です
名誉の再開。「お互い友人として再会しよう」と、乃木将軍よろしく、何と勝者の側から歩み寄って、手を差し伸べてきたのです。
私は、この『名誉の再会』記念碑の前にたたずみ、感無量でした。
 
(これを契機に毎年3月14日にこの地で慰霊祭が行われますが、こういう形での慰霊祭も世界でここだけです)

硫黄島のアメリカ海兵隊は立派

国の為に戦う兵士は、

敵味方を超えて尊敬すべき

 

私は、アメリ海兵隊の勇敢さを尊敬しています。   
彼らは皆、「国の為に犠牲になりたい」という気持ちで来ている二十歳前後の志願兵達です。

不幸にも闘う事になった米軍に、私は憎しみは全くありません。
日米互いに国の為に命を投げ出し闘ったのですから。
戦士は基本的に尊敬されるべき対象です

硫黄島アメリ海兵隊…彼らには彼らなりの正義があって、立派だったと思います。  

擂鉢山で星条旗を揚げる海兵隊のあの写真は、
米軍将兵の心の拠り所

「80年後の今も、自分達は、あの硫黄島の英雄達に連なっている」
これが米海兵隊員の心のよすがです。

ちなみに…我が日本陸軍は、海兵隊の栄光の為のダシにされた気がして、実に悔しいですが、摺鉢山のあの星条旗の旗は、悔しいけれど絵になります。
 
彼ら海兵隊の戦友愛は見事です。
仲間意識が実に強固だったのだと思います。
そして、だからこそあの一枚が、アメリカの歴史を変えたのです。
 
「写真の効果は絶大だ。
劇的な写真は時に戦争の勝敗すら決める。
あの日撮られた中のたった一枚が歴史を変えた。
バカげてるが事実だ。
当時国は破産寸前で人々は戦争にウンザリしていた。
たった一枚の写真が状況をひっくり返した。
星条旗の写真から誰もが勝利を連想した。待ちに待った勝利を」
映画『父親たちの星条旗』のセリフ

ちなみに…。
ある方がこういう言い方をしていました。
日本陸軍の偉大さを発信し続けている私としては忸怩たるものがありますが、掲載いたします。 

「生きて虜囚の辱めを受けず」
「捕虜になったら故郷の父母が白眼視される」
という日本軍の価値観は、
「そういった恐怖で上から強制的に縛らないと、脱走兵が続出するから」
という面があったからでは?
つまり、日本人の弱さの裏返しでは? 
 
と…。

一方、(繰り返しになりますが)硫黄島で自ら最前線に飛び込んで行った海兵隊員。彼らは志願兵です。
上からの恐怖や強制で縛られていません。
「国の為に犠牲になりたい」と、自主的に国に命を捧げる気で、自分から死地に飛び込んでいます…。

とにかく、敵味方の枠を超え、私は硫黄島で戦った米海兵隊員を、心から尊敬しています。