横澤史穂のブログ

祖父が、ラバウルで負傷した陸軍の傷痍軍人でした。左右のイデオロギーに関係なく、戦争経験者の話を中心に編集したいと思っています。

三島由紀夫と中森明菜 狂の精神 ①

狂える魂デュオニソス、陶酔と激しさ
 
文学や芸術に必要なのは「狂」の精神。
三島由紀夫文学も明菜さんの曲も、まさにデュオニソスであり、陶酔と激しさ。 
しかし、狂気性を帯びているからこそ、人の心を撃つ。
狂気性が飛翔して、通常人では到達し得ない宝石の様な境地を拓いている。
 
あの時代に青春時代を過ごした人にとって、中森明菜さんの曲はもはやゴスペル。
鳥肌が立つ魂の唄。
 
狂気の天才
三島由紀夫 先生と中森明菜さんの共通点   
 
あくまでも私の主観ですが、私には三島由紀夫 先生と中森明菜さんが、ダブって見えます。    
昭和の元号と自分の年齢が重なっている三島由紀夫は言うに及ばず、明菜さんもいわば「昭和」の末期の時代精神を、一身で体現した様な人。
1989年、昭和の終焉と共にそれに殉ずるかのように、彼女はスターの座からフェイドアウトした。
 
あれほど時代の中心にいながら、瞬く間に退いてしまった人もいないと思います。  
  
三島由紀夫中森明菜の共通点を列挙    
 
暗く歪んだ生育環境に由来する狂気性、その狂気性に裏打ちされた鬼気迫る天才的な表現力、作品の中に隠された未来への予言能力、凡人には計り知れない霊的なまでのインスピレーション能力、その作品群の壮大な世界観、本人の偏愛体質、昭和の歩みと自身の人生の歩みを一にするその時代性、「昭和」との共時性、根底に流れる日本的な価値観への親和性…。   
 
「自分が置かれた環境は、マイナス要因として自覚されたが、文学によりそれが一気に裏返しになる。人生への態度はようやく攻勢に転じた」
 『パーソナリティ障害 いかに接し、どう克服するか』
 
過酷な環境で培われた人格。
能力か障害か。
フグは下手すると毒になりますが、上手に料理すると高級料理になる。
長所と短所の現れ方が極端なのですが、それを長所に転じたのが天才。
まさに三島由紀夫 先生と中森明菜さんだと思います。
 
多くの人が80年代ソングに惹かれる理由
 
どんなに性的な曲を歌っても、根底に確固たる大和撫子マインドがある山口百恵の保守的な歌は、当時の西側社会のレーガン以下の新保守主義の台頭と、無関係では無いと思います。

中森明菜さんの未来予知

歌手というのは、その曲に感情移入しているからか、その曲通りの人生を歩んでしまう人が多い様に思います。

喝采』のちあきなおみなんて、あの曲通りの人生になってしまった。 

そして明菜さんも、自身が予言した「宮崎つとむ事件」なんかがまさにそうですが(詳しくはネットで検索して下さい)、あの独特の感性で、未来を予知する能力がある人なんだ。と、私は思います。
 
『目を閉じて小旅行(イクスカーション)』や『ジプシー・クイーン』や『赤い鳥逃げた』とか、まさに未来予知の歌詞。
 
歌詞は作詞家が作っているわけですが、「作詞家がそういう詞を書く」というのも、無意識が引き寄せているか、明菜さんに触れる事でインスパイアされて感性が鋭敏になるのだと思います。
 
明菜さんは感性が物凄く鋭敏な人らしいですし。
 
研音のマネージャーいわく、10代の頃の明菜さんは喫茶店に入って、花瓶に活けてある枯れた花を見て「お花さん、かわいそう…」と泣いていたらしいのです。 
天才である彼女は、凡人の我々の理解を越えた特殊な感性が、異常に発達していたのだと思います。
 
全盛期の『十戒 (1984)』とか『ミ・アモーレ〔Meu amor é・・・〕』のあの鬼気迫るパフォーマンスなんて、完全にトランス状態のシャーマンです。
 
世界を制した女王様の様な風格と、小鳥の様にか弱いマインドの、両方が同居している。
完全に「向こう側の人間」です。 

中森明菜さんはインナーチャイルドが癒されたら、絶対幸せになれると思う ③

『少女A』とは「少女AKINA」を暗喩的•黙示的に示しているのでは?

 

58歳の今の明菜さんの心の中に、幼児の明菜、つまり「少女明菜」がいる。

「10歳の少女明菜」。 

ご本人が自伝で述べていますが、父親不在の清瀬の貧しい家庭で充分な家庭愛と関心を得られず、ずっと待ち続けてもそれでもその都度、甘えが満たされず、望んだ愛が得られずに悲しさの中で過ごした幼少期…。 

 

明菜さんのインナーチャイルドが泣いている…

 

それが、今の明菜さんの中にいる「インナーチャルド」「少女AKINA」即ち『少女A』の裏の意味では、という推測を私は以前に立てました。

 

「少女AKINA」が、少女の純粋なまま、満たされないまま、今の明菜さんの中にいるのでは、と。

 

半分だけよ 大人の真似

あとの残り 純粋なまま (『1/2の神話』)

 

歌詞そのままです。

 

私は明菜さんのYouTubeを動画を観ていて、悲しんでいる明菜さんの声が聞こえて来る気がして、途中から観られなくなりました。 

 

「明菜さんの声」というより、「明菜さんの中にいる、インナーチャイルドの声」と言った方がいいかも知れません。


彼女のインナーチャイルド、つまり、家庭愛に飢えた貧しい家庭で、テレビの中の山口百恵に憧れながら、ひたすら父性愛を求め続ける一途な少女…。
 
人間というのは「幼児期の親との関わり方」が、その人の対人コミュニケーションの基本となり、大人になっても、幼児期に体験した心象風景を何度でも再現するのです。 
 
幼児期に満たされなかった愛情飢餓感は、それに気付かない限り、何歳になっても残ります。
 
だから、戦争を挟んで幼児期に満たされず清算されなかった愛情飢餓感があると、体が80歳でも中身は子供、なんていう方もいます。
 
インナーチャイルドの一例を紹介します。  
YouTubeで「中森明菜 カバー 夢先案内人」で検索して下さい。     
山口百恵の『夢先案内人』を明菜さんがカバーして歌っていますが、あの暗い陰りがあるいつもの明菜さんが嘘の様に、凄くにこやかな笑顔なんです。
 
一番を歌った後に一瞬、笑顔で下を向くのですが、最高の笑顔なのです。
全く陰りが無い。 
恐らく、明菜さんのインナーチャイルドが喜んでいるのだと思います。
 
それもそのハズです。
山口百恵のこの『夢先案内人』は、16歳の時にオーディション番組の決勝戦で歌ったくらいに、明菜さんが少女時代から大好きだった曲。  
 
この曲が発売された時は明菜さんは11歳。  
 
家庭愛を求め続けていた幼い少女が、テレビ画面の中で『夢先案内人』を歌う山口百恵に憧れてるシーンが、眼に浮かびます。   
そのインナーチャイルドが、明菜さんの心の中に、今もいるのだと思います。
 
ただ、あれだけ重厚な人生経験をされた方ですから…。
 
明菜さんはインナーチャイルドを光の世界に成仏させたら、愛が溢れる物凄く味わい深い人になると思います
 
抱きあげて つれてって 時間ごと
(『セカンド•ラブ』の歌詞)
これに尽きると思います。

おニャン子クラブforever....

おニャン子クラブの曲は「青春賛歌」

モチーフは「放課後の青春」
  
まさに一瞬で命が尽きる流星。
時代と時代の谷間に彗星の如く現れて、はかなく去っていった子猫達…。
このわずか、常時20人いるかいないかの半分素人の女の子達が、バブル極盛期・日本経済絶頂期の青少年達を、引きずり回していたのです。
私も「白球を追いかける青春」等という爽やかなイメージからは百万光年くらい離れた青春でしたが、「夕やけニャンニャンを追いかける青春」ではありました。
 
おニャン子クラブは私が中学一年の時にデビューして、中学三年の時に解散。
だからおニャン子の歩みは、私の中学時代と轍を一にしているのです。
私の中学時代の心のド真ん中には、常に輝いている彼女達がいた。確実にいた。
悲しくなるほど懐かしく、苦しくなるほど好きでした。
今となっては、甘酸っぱい想い出です。
 
2月に『バレンタイン・キッス』が発売され、3月にナカジが卒業して、7月に『お先に失礼』が発売。
いう風に、おニャン子クラブはファンの我々自身の学校生活と同時進行的な、等身大のアイドルでした。
 
人が人を想う気持ちは、奇跡を起こす
 

おニャン子クラブ解散記念日の9月20日


一度しかない、かけがえのない青春をおニャン子クラブと共に全力で駆け抜けた当時のファンの人達、数十人が毎年この日に代々木公園に集まります。
 
そこで解散コンサートの動画を流し、スクリーンライブを開催するのです。
私も毎年、参加しています。
 
おニャン子クラブ解散コンサートは、
現代版「もののあはれ
 
もののあはれとは、永続性への思慕の念。
青春というのは、はかない。煙の様にはかない。
だからおニャン子クラブの解散コンサートには、青春的なものが全て詰まっている。 
 
青春がここにある
青春が詰まっている
 
現在と1987年の境目がなくなり、中年の我らを一瞬にして思春期に引き戻す光速のタイムマシン。
このおニャン子解散コンサートの映像は、もはや歴史的資料であり、画面から青春が溢れています。

映像に向かって声援を送る。
それを解散の翌年から、何十年もやり続けて来た…。
このイベントを知った時の私の衝撃を、どう説明したらいいでしょうか…。
 
誰も想像しえない事が奇跡なら、
おニャン子ファンのこのイベントは まさに奇跡
 
このライブでファンが想いを馳せているのは「おニャン子の曲そのもの」だけではなく、かつて自分がそこにいた「おニャン子全盛期の時代の空気感」であり、これらの曲に胸をときめかせていた自身の思春期の甘い記憶なのだと思います。
 
個人的には『恋のチャプターA to Z』の「🎵指の先でメルヘンして」という、可憐な箇所が好きです。
 
また、一番好きなのは富川春美さんでしたが、平安時代の女性貴族の様な高井麻巳子さんの長い黒髪(平安時代は長い黒髪ほど綺麗な女性とされた)にも、私は惹かれていました。
 
美奈代とゆうゆの『割ってしまった卵』も、(それが彼氏なのか家族なのかわからないけど)大事な人の為に「おいしい料理を作ってあげよう」としている所にも、日本的なしおらしさを感じていました。
 
おニャン子クラブに限らず、でしょうが、昔のアイドルは、どんなに肌を露出して性的な踊りをしていても、ふとした仕草や一瞬の表情に「日本女性的な奥ゆかしさ」が透かし見える事が多い。
 
「この子、歌ではこんなエッチな事を言っているけど、本当は一途な子なんだろうな」というのが、こちらに伝わって来る。
 
まるで日活の青春映画の様な、
の中の映像アーカイブ
のアイドルは 表情が豊か
 
性的に過激なおニャン子クラブの曲の裏には「実は校則に縛られている素人のお嬢さん」というのが、無意識的な背景にある。
 
普段はとてもそんな事は言いそうにない、やりそうにもない箱入り娘のお嬢さん達が、背伸びするかの様に歌うあのエッチな歌詞は「本当はそんな人間じゃないんだよ」という事を逆説的に証明している様なもの。
 
ビーバップ・ハイスクールと一緒です。
あれは「友情や恋愛を、悪の中で表現した」作品だと私は思います。
世の中には、愛や友情を描いた映画はたくさんある。  
しかしビーバップは、その愛や友情を「悪」の中で描いたからこそ、「白の中の黒」「黒の中の白」の様に、エッジが効いて陰陽の味が出ているのだと思います。
おニャン子クラブも、まさにそれ。
 
私達ファンの心の中のおニャン子に、終わりは無い。
私達の心の映写機に映し出されたおニャン子クラブは、いつまでも「あの頃」のまま。
いつまでも、いつまでも…。 

祖国アメリカへの忠誠 ⭐️ 史上最強の米軍特攻隊 ③

 

星条旗の為なら死んでもいい

 

これが第二次世界大戦当時の、日系二世を含む多くのアメリカ人の価値観。

凄く立派だと思います。

 

彼らは幼少期から、星条旗を前にして胸に手を当て、国家に忠誠を誓って育ったわけです。

 

星条旗にも、アメリカの歴史にも、幾多の先人達の血がにじんでいる。

自分もその後を追う覚悟がある。

祖国アメリカの歴史は、命を捨てても惜しくないほど尊いものだから。

 

こういう価値観が血肉化していた彼らは幸せ者です。

 

彼らにとって「合衆国の自由と誇り」とは

命を捨ててでも守るべきもの

 

この頃のまだ若々しいアメリカには、色々な意味で、健全な精神が残っていたのです。

イラク戦争等はアメリカによる大義なき殺戮だと私は思いますが、第二次世界大戦時のアメリカには、彼らなりの立派な大義があったと思います。

 

彼らは星条旗を汚されたら 死ぬまで戦う

 

442連隊の日系二世の志願兵達…。

 

機械化されたドイツ軍の砲火に飛び込んでいくあの獅子奮迅の働きは「合衆国に立ち向かう敵には容赦しない」という、自己犠牲を伴う凄まじい闘志が動機になっていたのでしょう。

 

下の写真は、私が非常に尊敬する偉大なアメリカ軍人、ジョー・M・ニシモト上等兵

 

1919年カリフォルニア州フレゾノ出身。

恐らく、凄まじい人種差別の中で育ったであろう彼。

開戦と同時に家屋敷を奪われ、両親や兄妹共々、強制収容所に入れられた彼は収容所に家族を残したまま、軍に志願。

日系442連隊所属となり、欧州に出征します。

1944年11月。

彼はフランス La Houssière戦線にて、強固な一群が待ち構えている敵陣に匍匐前進で近づいて機関銃と手榴弾で次々と敵兵を殺傷し、仲間が退く中でも一人だけ逆方向に飛び込み、なおも戦い続け、壮烈な戦死を遂げました。

享年25歳。

 

偉大なるthe American spirit

 

その戦勲が語られる事があまりなかった彼ですが、死後半世紀以上経った1998年。

米政府が「その査定に人種差別があった」として、過去のアジア系米兵達の戦歴を再調査。

それにより、2000年。

死後56年目にして、戦場においての鬼神をも哭かせしむる彼のその「際立った勇敢さと大胆さ(conspicuous gallantry and intrepidity)」を事由として最高位の名誉勲章が、大統領から遺族に授与されました。 

 

「自分がアメリカ人である事を証明する為に」

「収容所にいる両親や妹達の為に」

「未来の日系人達の為に」

戦って戦死した彼の、祖国アメリカへの忠誠心に私は打ち震える感動を禁じ得ない。 

 

下の写真は、軍隊に志願した後の彼の写真。

最前線に送られる事を熱望していた二世達。

 

死が迫り来るにも関わらず、それよりも「合衆国の為に戦える」事が幸せだったのだと思います。

 

その「類まれな英雄的行為と任務への献身extraordinary heroism and devotion to duty)」により、死後80年後もこうして、外国人(我々 日本人)にまでその武勲が語り継がれる彼。

 

私は彼に、彼の大和魂に、彼の偉大なるthe American spiritに、満腔の敬意を捧げたい。

中森明菜さんは、徹底的に「昭和50年代」マインドの人

人間というのは、その人が思春期や青春時代に関心を持った物事や考え方が、その人のその後の人生の核となります。

この頃までに身に付いたものは、一生抜けません。
人格は、この頃に出来上がる。
大学において、ではない。
 
つまり、思春期や青春時代の物の考え方こそが、その人がいくつになっても立ち返るべき心のふるさとであり、その人の原点にして帰結です。 
 
その後の人生は、そこから延長コードを伸ばす作業に過ぎない。   
 
そういう意味で、山口百恵に憧れて昭和50年代に思春期を過ごした昭和40年生まれの明菜さんの人格の根底は「昭和50年代マインド」です。   
 
彼女は、カバー曲で構成される『歌姫』というシリーズのアルバムをたくさん出しています。
 
そしてその中の曲のほとんどが、昭和50年代の曲です。
また、自身のヒット曲『北ウイング』なんか典型的ですが、この曲には特に「昭和50年代的な情念」が、コッテリ宿っていると思います。
 
明菜さんが歌う時の、「ぅぁぁあああああ!」という、いわゆる明菜ビブラート。
 
そこにまでも、根底には「昭和50年代的な情念」がある様な気がします。
 
だから平成の社会では、明菜さんはなかなか共感を得られなかったのだと思います。
しかし…。
今や時代は一周まわって逆に昭和テイストが再評価されているので、再び明菜さんがセンターに躍り出るのでは、と私は考えています。

明菜さんの悲しい顔…

80年代はともかく、2000年代以降の明菜さんの映像は、痛々しくて可哀想で、見られないです…。 ふとした瞬間に滲み出る、悲しげな表情…。


あの悲しそうな表情は、絶対に演技じゃない。 
 
インナーチャイルドが悲しんでいる顔なのではないでしょうか。
 
他人様のプライベートに踏み込んではいけないのですが…。
ネットでは、明菜さんが薄幸なのは恋人のせいであるかの様に書かれていますが、そうとも言い切れない気がします。 
  
幼少期に家庭愛に飢えていた明菜さんのインナーチャイルドが満たされないまま大人になっちゃった事が、明菜さんの不幸の原因なのではないかと、私は思います。