横沢史穂のブログ

祖父が、ラバウルで負傷した陸軍の傷痍軍人でした。左右のイデオロギーに関係なく、戦争経験者の話を中心に編集したいと思っています。

祖国アメリカへの忠誠 ⭐️ 史上最強の米軍特攻隊 ③

 

星条旗の為なら死んでもいい

 

これが第二次世界大戦当時の、日系二世を含む多くのアメリカ人の価値観。

凄く立派だと思います。

 

彼らは幼少期から、星条旗を前にして胸に手を当て、国家に忠誠を誓って育ったわけです。

 

星条旗にも、アメリカの歴史にも、幾多の先人達の血がにじんでいる。

自分もその後を追う覚悟がある。

祖国アメリカの歴史は、命を捨てても惜しくないほど尊いものだから。

 

こういう価値観が血肉化していた彼らは幸せ者です。

 

彼らにとって「合衆国の自由と誇り」とは

命を捨ててでも守るべきもの

 

この頃のまだ若々しいアメリカには、色々な意味で、健全な精神が残っていたのです。

イラク戦争等はアメリカによる大義なき殺戮だと私は思いますが、第二次世界大戦時のアメリカには、彼らなりの立派な大義があったと思います。

 

彼らは星条旗を汚されたら 死ぬまで戦う

 

442連隊の日系二世の志願兵達…。

 

機械化されたドイツ軍の砲火に飛び込んでいくあの獅子奮迅の働きは「合衆国に立ち向かう敵には容赦しない」という、自己犠牲を伴う凄まじい闘志が動機になっていたのでしょう。

 

下の写真は、私が非常に尊敬する偉大なアメリカ軍人、ジョー・M・ニシモト上等兵

 

1919年カリフォルニア州フレゾノ出身。

恐らく、凄まじい人種差別の中で育ったであろう彼。

開戦と同時に家屋敷を奪われ、両親や兄妹共々、強制収容所に入れられた彼は収容所に家族を残したまま、軍に志願。

日系442連隊所属となり、欧州に出征します。

1944年11月。

彼はフランス La Houssière戦線にて、強固な一群が待ち構えている敵陣に匍匐前進で近づいて機関銃と手榴弾で次々と敵兵を殺傷し、仲間が退く中でも一人だけ逆方向に飛び込み、なおも戦い続け、壮烈な戦死を遂げました。

享年25歳。

 

偉大なるthe American spirit

 

その戦勲が語られる事があまりなかった彼ですが、死後半世紀以上経った1998年。

米政府が「その査定に人種差別があった」として、過去のアジア系米兵達の戦歴を再調査。

それにより、2000年。

死後56年目にして、戦場においての鬼神をも哭かせしむる彼のその「際立った勇敢さと大胆さ(conspicuous gallantry and intrepidity)」を事由として最高位の名誉勲章が、大統領から遺族に授与されました。 

 

「自分がアメリカ人である事を証明する為に」

「収容所にいる両親や妹達の為に」

「未来の日系人達の為に」

戦って戦死した彼の、祖国アメリカへの忠誠心に私は打ち震える感動を禁じ得ない。 

 

下の写真は、軍隊に志願した後の彼の写真。

最前線に送られる事を熱望していた二世達。

 

死が迫り来るにも関わらず、それよりも「合衆国の為に戦える」事が幸せだったのだと思います。

 

その「類まれな英雄的行為と任務への献身extraordinary heroism and devotion to duty)」により、死後80年後もこうして、外国人(我々 日本人)にまでその武勲が語り継がれる彼。

 

私は彼に、彼の大和魂に、彼の偉大なるthe American spiritに、満腔の敬意を捧げたい。