横澤史穂のブログ

祖父が、ラバウルで負傷した陸軍の傷痍軍人でした。左右のイデオロギーに関係なく、戦争経験者の話を中心に編集したいと思っています。

2023-06-01から1ヶ月間の記事一覧

真珠湾攻撃で戦死した西開地 重徳 一飛曹のお墓参り(愛媛県 今治市)

2016年と17年に連続して、愛媛県今治市にあるゼロ戦パイロットの西開地 重徳 一飛曹のお墓参りに行きました。 (上の写真は、海軍 神雷部隊 特攻隊の生き残り 佐伯正明 先生と) 西開地さんのお名前は同じくゼロ戦パイロットの原田要 先生からよくお聞きして…

今こそ、伝えねば…旧軍人インタビュー⭐️狼兵団に 軍刀が映える ②

※①の続き そこで砲兵を率いる中村隊長。 敵戦車を引き付けて、引き付けて、充分に引き付けた所で…。 「撃てーー!」 と号令。 敵を混乱させる為に、一番前の敵戦車と、中頃にいた敵戦車を狙いました。 弾は見事に命中! 敵戦車群は大混乱に陥ります。 そして…

今こそ、伝えねば…旧軍人インタビュー⭐️狼兵団に 軍刀が映える ①

中村清一 先生 1919年(大正8年)5月20日生まれ。 鹿児島県出身。陸軍大尉。 狼兵団(第49師団)山砲兵第49連隊 第1大隊 第3中隊長。 私、これを書いていて、胸が一杯になる…。 ですので、あまり細かく書けません。 概略だけ…。詳細はまた改めて。 中村先生…

陸軍 特攻隊の生き残りの方達と

右から、陸軍特攻隊『第75振部隊』山口利雄 先生。 中央は、同期生の陸軍軍人 三橋利雄 先生。 山口先生は特攻隊に志願し、上空1500メートルから地上20メートルまで降下する特攻訓練を続けていました。 しかし、腹膜が破裂する病に見舞われ、40日間入院しま…

海軍大学校の歪んだ教育 ⑧

莫大な国費を投じて作ったはいいけど、実戦に全くと言っていいほど投入しないで沈めてしまった戦艦『大和』『武蔵』の一点豪華主義はまさにその象徴ですが、他の軍艦の設計思想にも「偏り」は現れています。 同じ戦艦という事でも『長門』と『陸奥』は大改装…

海軍上層部の大罪 19

海軍上層部は「物量で負けた」等と、戦後も日本人を騙し続けて来ました。 しかし、戦争中盤の1943年夏にアメリカ第五艦隊が太平洋に姿を現すまで、日本海軍の物量は戦艦でも空母でも、アメリカ海軍を圧倒していました。 アメリカ海軍が手をつけられなくなる…

行き過ぎた「自由」は日本人の倫理を爆発的に破壊する

今の学校教育で教える「自由」とは、欲望の無限解放の別名です。 行き過ぎた「自由」の推奨は、道徳観の破壊と動物的本能の解放に直結します。 ほんの一例ですが、週刊誌に氾濫する女性芸能人の裸の写真などは、少女の貞操観を黒くヒタヒタと汚していき、国…

5人の私生児を全て孤児院に送ったルソーこそ 家族解体のはしり ②

人類は、妬みや怨恨や欲望を全面的に出す事を「恥ずべき感情」とみなしてきましたが、ルソーの影響を受けたフランス革命で「人間の権利」として、欲望を解放したのです。 その延長で「金持ちに対する貧しい人間の妬み」を「ブルジョワに対するプロレタリアー…

5人の私生児を全て孤児院に送ったルソーこそ 家族解体のはしり ①

ルソー『人間不平等起源論』 日本で偉人扱いされているルソーこそ、家族解体のはしりです。 母親の愛情を全く知らずに育ち、10歳で父親と別れて孤児同然となり、貧困の中、男娼の様な生活をして、女中に5人の子供を産ませるも私生児として全員を孤児院に送り…

血の一滴まで捧げ尽くして戦った日本陸軍 ②

海軍を称賛するなら 陸軍はその10倍称賛しろ 戦前世代の方で日本陸軍を悪く言う人がいらっしゃいますが、それは仕方ない。物事は片一方の視点からだけ見てはダメ。 陸軍に嫌な思いをさせられた方だって沢山いたはず。それについて、戦後世代の私がどうこう言…

海軍上層部の大罪 18

そもそも、国家躍進の原動力は、その国独自の世界観や価値観に回帰する事によってのみ可能です。 日本なら、大和魂や武士道精神です。 しかし、海軍のエリート官僚達が海軍大学校で学んだ西洋直輸入の学問や思想は、大和魂や武士道精神といった日本の土壌に…

山本五十六を賛美する人間は、300万人の戦死者を冒涜している① 

根っからのギャンブラー 山本五十六は、自身がやりたくて仕方がなかったギャンブリングな真珠湾攻撃の後にアメリカと全面戦争になった時、部下として一番犠牲が出るであろう末端の兵士達に想いを馳せたのか。 軍隊は、戦争させない為の手段でもあるのに、軍…

今こそ、伝えねば…旧軍人インタビュー⭐️99歳の大隊長

篠田増雄 先生 1919年(大正8年)生まれ 陸軍中尉。第51師団 歩兵第66連隊 所属。1943年(昭和18年)1月、ラバウルに上陸。 そして同年5月、「ジャワの極楽、ビルマの地獄、生きて帰れぬニューギニア」と言われた東部ニューギニア戦線に向かいます。 そして…

今こそ、伝えねば…旧軍人インタビュー⭐️海軍特攻隊『第18嵐突撃隊』

安藤高視 先生 1928年(昭和3年)生まれ。 海軍特攻隊 『第18嵐突撃隊』。 モーターボート特攻艇『震洋』部隊の生き残りです。 本土決戦において相模湾に来寇して来る敵艦隊に対し、軍艦は一切無視して敵輸送船に体当たりする事を目的として、訓練に明け暮れ…

今こそ、伝えねば…旧軍人インタビュー⭐️両の視力を失うも、万丈の気を吐き…

松嶋英雄 先生 1924年(大正13年)生まれ。 1939年(昭和14年)語学を学ぶ為、15歳で満州に渡り、昼間は働き夜は夜間学校へ。 1941年(昭和16年)満州国 新京特別市の役所に勤務。 1945年(昭和20年)3月、関東軍 第5軍隷下第6754部隊に入隊。 お母様は「天…

海軍上層部の大罪 16

政略や戦略を考えずに山本五十六個人の博打癖で行った真珠湾攻撃が、日本全体の汚名に 真珠湾攻撃の時、自分は最前線に立たないで後方に引っ込んでいた山本五十六は、南雲艦隊が帰って来たら出迎えて、一緒に帰りました。 国民には「石油の一滴は血の一滴」…

東京大空襲経験者インタビュー⭐️この平和が続いて欲しい②

※①の竹内さんのお話の続き 若い人達には、明日がある暮らしを大事にして欲しいんです。明日に希望を抱ける人生って、素敵ですよね。 この平和が、あと30年続いてくれたら、日本に爆弾が100年落ちなかった事になる。 それを目標にしたいですね。 昨日があって…

東京大空襲経験者インタビュー⭐️この平和が続いて欲しい①

竹内静代さん 1931年(昭和6年)東京生まれ。 お父様、お母様、竹内さんの3人家族でした。 その晩、竹内さんは空襲警報が鳴って防空壕に入りましたが、いつもと違う外の喧騒が気になり、防空壕の扉を開けると、夜空がすでに一面真っ赤に…。 外に出て、葛西橋…

東京大空襲 経験者インタビュー⭐️母よ、姉よ、妹や弟達よ…③

※浅草寺内にある東京大空襲 慰霊碑にて ※②の続き 亀谷さんのお話、いかがでしたでしょうか。 中学一年で、家族6人の無惨な姿を目の当たりにしなければならなかった14歳の少女・亀谷さんの当時のお気持ちを想うと、私も身が切られる思いです。 今も亀谷さんの…

東京大空襲 経験者インタビュー⭐️母よ、姉よ、妹や弟達よ…②

※①の続き 私は家族を必死で探しました。 いた! 頭髪が全て焼け落ちて丸坊主になった母。 やっと歩き始めたばかりの弟は頭と、足首から下がありませんでしたが、着物でわかりました。 その上の5歳の弟も、胴体だけでしたが着物でわかりました。 10歳の妹も、…

東京大空襲 経験者インタビュー⭐️かすれ声でも挙げていく②

※①の続き 日本人が語り継がなければ、誰が語り継ぐのか 清岡さんのお話、いかがだったでしょうか。 しかし戦後、東京大空襲の罹災者は傷痍軍人と違って、政府からあまり顧みられる事はありませんでした。 これだけの死者を出した東京大空襲というのは、実は…

東京大空襲 経験者インタビュー⭐️阿鼻叫喚の地獄絵図①

生きたくても生きられなかった人達の叫び声 よりにもよって、光輝ある帝国陸軍の奉天会戦での戦捷を祝う3月10日の陸軍記念日を狙っての無差別爆撃に、私は昔から憤りを感じておりました。 しかし、当時、戦地ではなく銃後にいて主に小学生・中学生だった方達…

私が言う「良妻賢母」とは「夫との主従関係」の事ではない

私が街宣でよく、 「若いお嬢さん、マスコミのセックス洗脳にだまされないで下さい!そして将来は、良き妻、良き母になって幸せな人生を歩んで行っていただきたい」 と言っている内容が、誤解されてはいけない。 そもそも、ダメ男に尽くしたら、その女性の人…

今こそ、伝えねば…旧軍人インタビュー⭐️カウラ事件の生き残りの方が…

村上輝夫先生 1920年(大正9年)生まれ。 陸軍 第17師団 歩兵第40連隊。陸軍一等兵。 村上先生は、カウラ事件の生き残りの方です。 カウラ事件とは、1944年(昭和19年)8月、オーストラリアのカウラ捕虜収容所で1100人以上の日本兵が、突撃ラッパを合図に蜂…

今こそ、伝えねば…旧軍人インタビュー⭐️亡くなった戦友が守ってくれたから…

河原井卓 先生 1913年(大正2年)生まれ。茨城県 最高齢だった方です。長らく「戦争の悲惨さ」を訴えて来られました。28歳になる1941年、大東亜戦争開始直前に、奥様と1歳のお嬢様を残し、陸軍に召集。マレー作戦に従軍してイギリス軍と戦闘、東南アジアでの…

今こそ、伝えねば…旧軍人インタビュー⭐️空襲で右足を切断…

日佐戸輝先生1923年(大正12年)生まれ。 1944年(昭和19年)、東部第6部隊に入営、その日のうちに関釜連絡線で京城へ。朝鮮第22部隊に所属。 3ヶ月後に除隊。 1945年(昭和20年)3月10日の空襲では、お姉様のご家族が、全員死亡。 2ヶ月後、千葉県柏の高射…

今こそ、伝えねば…戦争経験者インタビュー⭐️今の繁栄は 夢のまた夢…

谷口知子さん 1933年(昭和8年)神戸生まれ 神戸市内への空襲が本格化する前に、郊外の有野村に疎開。 1945年(昭和20年)3月17日。神戸空襲。 愛媛にある第343海軍航空隊の「松山上空戦」の2日前、神戸市内が米軍機400機の空襲を受ける。死者6232人。 谷口…

今こそ、伝えねば…旧軍人インタビュー⭐️東京大空襲を経てシベリア抑留へ…

坂本邦男 先生 1925年(大正14年)生まれ。 14歳で3月10日の東京大空襲を経験し、翌日に陸軍に召集。「仇をとる」と決意。 満州に渡り第27対空無線部隊に配属となる。1945年(昭和20年)8月28日、ソ連軍に降伏。シベリアに3年間抑留される。 坂本邦男 先生の…

大日本帝国を滅ぼした山本五十六 11

百戦錬磨のドイツ軍は、圧倒的に数が多いソ連軍を、少ない人数でも撃破し続けた。 ドイツ軍を指揮したマンシュタイン元帥もグーデリアン上級大将も「勝てる戦争だった」と言っている。 「ヒトラーがメチャクチャな命令をするから負けた」との事だが、ちょっ…

今こせ、伝えねば…旧軍人インタビュー⭐️満蒙開拓青少年義勇軍

今村真 先生 1924年(大正13年)生まれ。満蒙開拓青少年義勇軍 陸軍憲兵 関東軍憲兵司令部 1939年(昭和14年)4月、満蒙開拓青少年義勇軍に入る。 1942年秋、開拓地に入ります。 1944年(昭和19年)3月、志願して満州・孫呉の第一師団野砲兵第一連隊に入隊。…