横沢史穂のブログ

祖父が、ラバウルで負傷した陸軍の傷痍軍人でした。左右のイデオロギーに関係なく、戦争経験者の話を中心に編集したいと思っています。

東京大空襲経験者インタビュー⭐️この平和が続いて欲しい①

竹内静代さん

1931年(昭和6年)東京生まれ。

お父様、お母様、竹内さんの3人家族でした。

その晩、竹内さんは空襲警報が鳴って防空壕に入りましたが、いつもと違う外の喧騒が気になり、防空壕の扉を開けると、夜空がすでに一面真っ赤に…。

外に出て、葛西橋から江戸川方面に橋を渡ろうとしましたが、強風で前に進めず、物もたくさん飛んで来ます。

その向かい風の中を、お父様が欄干を握りしめて這う様にして橋を渡り、工場の様な建物の食堂に逃げ込みました。

しかしそこにも爆弾が落ちて来たので、農家らしき家に避難させてもらい、そこで朝を迎えました。

そこから家族3人で家に戻る事になったのですが、空襲から一夜明けた東京の惨状は「目を覆いたくなるもの」でした…。

竹内静代さんのお話

戦争って、罪のない人が死ななければならないんです。

しかし戦後、空から爆弾が降って来なかったのが、良かったなと思うんです。

戦後、学校にどんどん友人が帰って来て、先生が「ああ、生きていたのね…」とおっしゃって、友達同士でも「生きていたんだ…」と…。

明日も学校に来ていいんだ。

明日も勉強が出来る。

勉強出来る事が、こんなにうれしいなんて、ね…。

※②に続く