横沢史穂のブログ

祖父が、ラバウルで負傷した陸軍の傷痍軍人でした。左右のイデオロギーに関係なく、戦争経験者の話を中心に編集したいと思っています。

2023-06-25から1日間の記事一覧

今こそ、伝えねば…旧軍人インタビュー⭐️『戦史叢書』を編集

福重博 先生 1921年(大正12年)のお生まれ。 陸軍士官学校55期。 竹田五郎先生と、広島陸軍幼年学校以来の同期。 戦後は陸上自衛隊に入隊し、一佐で退官。 三島由紀夫事件の時は、市ヶ谷の建物の中から見ていたそうです。 福重先生は、防衛庁時代に『戦史叢…

今こそ、伝えねば…旧軍人インタビュー⭐️ビルマ南北を縦断

磯部喜一 先生 1919年(大正8年)生まれ。 陸軍憲兵伍長。 1941年(昭和16年)に陸軍憲兵を拝命し、1944年(昭和19年)にビルマ方面軍へ。 一年半にわたり、ビルマ南北を縦断して戦闘、諜報、宣撫工作を行う。 最後にシッタン河突破作戦に従事し、終戦。 そ…

今こそ、伝えねば…旧軍人インタビュー⭐️陸軍士官学校の卒業生の方達②

左右のイデオロギー、関係なし 陸軍士官学校の最終期61期の方達と。 2017年頃の写真です。 皆さんお若い。90歳位ですね。 61期は、1927年(昭和2年)生まれの方達の期です。終戦時18〜19歳くらい。 実際の戦場に行く前に終戦になった世代です。 つまり…。 多…

今こそ、伝えねば…旧軍人インタビュー⭐️陸軍士官学校の卒業生の方達①

山口叡 先生 陸軍士官学校56期 陸軍大尉。 陸上自衛隊 陸将補。 1922年(大正11年)お生まれ。 山口先生は戦時中、若き青年将校として、大陸打通作戦(1944年昭和19年4月〜12月)に参加されます。 57期までが実戦経験あり、です。 ですから戦後、警察予備隊…

東京大空襲 経験者インタビュー⭐️母よ、姉よ、妹や弟達よ…①

亀谷敏子さん 1931年(昭和6年)深川生まれ 中学3年だったお兄様は「予科練を受けたい」とご両親に願い出た時に猛反対されましたが、「軍国少女だった」亀谷さんはお兄様に言われるままに、ご両親に内緒で志願書をポストに投函しました。 その結果、お兄様は…

ラストチャンス!旧軍人や戦争経験者に 最大限の愛と感謝を! ②

※東京大空襲を経験された佐古田 先生 ※一式陸攻搭乗員 松田政雄 先生 ※竹田五郎 先生 陸軍大尉 『飛燕』パイロット 戦後は 自衛隊 第12代 統合幕僚会議 議長

東京大空襲 経験者インタビュー⭐️阿鼻叫喚の地獄絵図②

※①の続き 「70年間、語れなかった。最近やっと、口に出せる様になった」 という奥様もいらっしゃいました。 思い出すだけで血が吹き出す心の傷が、ようやくかさぶたになるのに、70年かかった、という事です。 書物から得た知識というのは、その描写がどれだ…

東京大空襲 経験者インタビュー⭐️かすれ声でも挙げていく①

清岡美知子さん 1928年(昭和3年)生まれ。 清岡さんをモデルにしたドキュメンタリー映画が作られ、2021年メルボルン国際映画祭に出品されました。 清岡さんは3月10日の大空襲時、浅草にお住まいでした。 ご家族はご両親・お姉様と清岡美知子さんの4人暮らし…

今こそ、伝えねば…旧軍人インタビュー⭐️真珠湾攻撃に参加②

※①の続き 今まで訓練でやっていた様に、水面から10メートルの高さで敵艦に迫りました。 私は、魚雷の投下索を引っ張る役目でした。 「(戦艦)コロラド型だ!長門と比べて小さいな」 と感じました。 「しかし、もしかして(標的艦)ユタかな」 とも思った…