山口叡 先生
陸軍士官学校56期 陸軍大尉。
陸上自衛隊 陸将補。
1922年(大正11年)お生まれ。
山口先生は戦時中、若き青年将校として、大陸打通作戦(1944年昭和19年4月〜12月)に参加されます。
57期までが実戦経験あり、です。
ですから戦後、警察予備隊が出来た当初は、GHQは58期以降からなるべく採用しました。
余談ですが、1954年に自衛隊が発足しても、旧陸軍からは自衛隊には、言われているほど参加していません。
自衛隊は、旧内務省のOBはたくさん採用しましたが、旧陸軍軍人の採用は、米軍が嫌がったそうです。
長い間山口先生は、56期の同窓会の世話人を務めてらっしゃいました。
56期の同窓会は、コロナ禍が始まる頃まで月一回のペースで開催されていたと思います。
市ヶ谷の坂の上にある偕行社に毎月、100歳近い旧陸軍士官達が集まっていました…。
山口先生のお話
私達は中国軍と戦いましたが、目の前の山で中国国民党と中国共産党が戦ってるんですよ。
それで国民党軍から軍使が来るんです。
「共産党軍との戦闘が終わるまで、日本軍の攻撃は控えて欲しい」と。
ですから、こちらは了解しました。
ええ、約束通り、両軍の戦闘が終わるまで我々は待ってますよ(笑)。
戦後は私は陸上自衛隊に入りました。
陸将補で退官しましたが、自衛隊はお役所仕事でした。
2017年8月 聞き取り
常盤盛晴 先生
1921年(大正10年)生まれ 陸軍大尉
山口叡先生より一期上の、55期。
2020年夏、逝去されました。
上の写真は、亡くなる一年前の55期の総会。
後列左が私です。常盤先生が55期会の会長を務めてたので、私も呼んでいただきました。
常盤先生のお話
戦後、自衛隊には入りませんでした。
私は陛下の軍人ですから。
人を殺すのも殺されるのも、生半可な気持ちじゃ出来ないんだよ。
目の前から弾が飛んで来て、初めてわかるんだよ。学校の勉強なんか、何の役にも立たないから。
私は、三島(由紀夫)さんの言ってる事は正しいと思うよ。
自衛隊が武士なら、あの場で三島由紀夫を殺せばいいじゃないか。
2019年8月 聞き取り