横沢史穂のブログ

祖父が、ラバウルで負傷した陸軍の傷痍軍人でした。左右のイデオロギーに関係なく、戦争経験者の話を中心に編集したいと思っています。

東京大空襲 経験者インタビュー⭐️母よ、姉よ、妹や弟達よ…②

※①の続き  

私は家族を必死で探しました。

いた!

頭髪が全て焼け落ちて丸坊主になった母。

やっと歩き始めたばかりの弟は頭と、足首から下がありませんでしたが、着物でわかりました。

その上の5歳の弟も、胴体だけでしたが着物でわかりました。

10歳の妹も、着物でわかりました。

15歳の姉、12歳の妹は、ついに見つかりませんでした。

9人家族のうち、一晩で6人が亡くなった時、兄は盲腸炎で入院していました。

家族の死を知った兄は「必ずカタキを討つ」と誓っていました。

その兄も、海軍航空隊にいる時に敵の空襲により亡くなりました。

あの時、兄の予科練志願書を、父母に内緒で投函した私。

その為に家族の疎開も遅れ、兄は戦死してしまった。

私が、兄を予科練に送って死なせた張本人。

結果的に、私が7人の家族を死に追いやってしまった。
空襲後、1ヶ月間は失語症になりました。

今でも私は家族6人を殺した殺人者だという思いが離れません。
いつも自分を責めています。

どうして私だけ置いて行ってしまったの。

ずっとそういう思いでした。

今は、悔やんでも悔やみ切れない思いで、毎日仏壇に手を合わせています。

生きながらにして焼け死んだ母よ、姉よ、妹よ、弟達よ。

どんなに熱かった事か。

どんなに苦しかった事か。

どうか許して下さいと、毎朝たっぷりの冷水を上げて般若心経を唱えて詫びています。

ろくな食べ物もなく、甘いお菓子など口にする事もなく逝った小さな妹弟達…。

 

今はお菓子も切らさずに仏壇に上げていますが、もちろん無言のまま、誰も食べてはくれません…。

一時は尼さんになろうかと思いました。今は天涯孤独の身。

あんな思いは誰にもさせたくありません。

※③に続く