※①の続き
私は家族を必死で探しました。
いた!
頭髪が全て焼け落ちて丸坊主になった母。
やっと歩き始めたばかりの弟は頭と、足首から下がありませんでしたが、着物でわかりました。
その上の5歳の弟も、胴体だけでしたが着物でわかりました。
10歳の妹も、着物でわかりました。
15歳の姉、12歳の妹は、ついに見つかりませんでした。
9人家族のうち、一晩で6人が亡くなった時、兄は盲腸炎で入院していました。
家族の死を知った兄は「必ずカタキを討つ」と誓っていました。
その兄も、海軍航空隊にいる時に敵の空襲により亡くなりました。
あの時、兄の予科練志願書を、父母に内緒で投函した私。
その為に家族の疎開も遅れ、兄は戦死してしまった。
私が、兄を予科練に送って死なせた張本人。
結果的に、私が7人の家族を死に追いやってしまった。
空襲後、1ヶ月間は失語症になりました。
今でも私は家族6人を殺した殺人者だという思いが離れません。
いつも自分を責めています。
どうして私だけ置いて行ってしまったの。
ずっとそういう思いでした。
今は、悔やんでも悔やみ切れない思いで、毎日仏壇に手を合わせています。
生きながらにして焼け死んだ母よ、姉よ、妹よ、弟達よ。
どんなに熱かった事か。
どんなに苦しかった事か。
どうか許して下さいと、毎朝たっぷりの冷水を上げて般若心経を唱えて詫びています。
ろくな食べ物もなく、甘いお菓子など口にする事もなく逝った小さな妹弟達…。
今はお菓子も切らさずに仏壇に上げていますが、もちろん無言のまま、誰も食べてはくれません…。
一時は尼さんになろうかと思いました。今は天涯孤独の身。
あんな思いは誰にもさせたくありません。
※③に続く