横沢史穂のブログ

祖父が、ラバウルで負傷した陸軍の傷痍軍人でした。左右のイデオロギーに関係なく、戦争経験者の話を中心に編集したいと思っています。

海軍上層部の大罪 19

海軍上層部は「物量で負けた」等と、戦後も日本人を騙し続けて来ました。

しかし、戦争中盤の1943年夏にアメリカ第五艦隊が太平洋に姿を現すまで、日本海軍の物量は戦艦でも空母でも、アメリカ海軍を圧倒していました。

アメリカ海軍が手をつけられなくなるくらい強くなるのは、スプルーアンス率いるこの第五艦隊が登場してからです。

いや、いくら第五艦隊とは言え、実戦を経験して、運用実績を重ねて初めて強くなる。

ただ「登場」しただけでは、すぐには強くない。

実戦で磨きをかけて慣れるまでに「ウォーミングアップ」の時間が少しかかります。

だから、アメリカ海軍が日本海軍を「物量で圧倒」して「手がつけられなくなるくらい強くなる」のは、1943年の秋以降。

つまり、戦争が半分以上、過ぎた頃からです。

事実、1944年10月のレイテ沖海戦までアメリカ海軍の艦載機は、日本の戦艦を沈めていません。

1944年6月のマリアナ沖海戦でさえ、日本空母にトドメを刺したのは潜水艦です。

ちなみに、1942年6月のミッドウェー海戦雷撃機の『デバステイター』に至っては、41機が日本艦隊を攻撃して1本も当たっていません。

つまり、アメリカ海軍や機動部隊の艦載機が、最初から精強だったわけではないのです。

以上「物量に負けた」等、当時の価値観で言えば、軍人たる者の言うべき言葉ではありません。

それと、そもそも戦争の最終的な勝敗を決するのは、あくまでも陸戦です。 

軍艦なんて、いくら沈んでもそれで戦争の決着はつきません。

にも関わらず海軍の指導者層は、軍艦同士の戦いで戦争全体の勝敗が決まると思っていた節がある。

つまり、彼らはその40年前の日露戦争日本海海戦の頭から抜けきらなかった、という事です。