横沢史穂のブログ

祖父が、ラバウルで負傷した陸軍の傷痍軍人でした。左右のイデオロギーに関係なく、戦争経験者の話を中心に編集したいと思っています。

海軍大学校のゆがんだ教育 ⑤

大東亜戦争は海軍の戦争であり、山本五十六の戦争

山本五十六が強引に、そして嬉々として進めた日本自滅の引き金である1941年(昭和16年)の真珠湾攻撃について。

開戦前年の1940年(昭和15年)7月に両洋艦隊法がアメリカで成立。

これにより、空母だけで18隻、合計133万トンの艦艇が建造され、3年後には大艦隊が太平洋に現れて来る事になった。

しかし今なら対米7割のトン数だから勝てる。

1年経ち、2年経ち、3年経てば勝てない。

だから今だ。

なんて、メチャクチャです

戦争は「海軍の軍艦の排水量の総計」で決まるわけでは無い。「艦艇数」でも決まらない。最前線を後ろで支える軍港が必要だし、個艦それぞれの性能や経年による。

日米の軍艦の総数、総排水量

この比率を我が方に有利にする事も真珠湾攻撃の目標だった節があるが、これも艦隊決戦思想に取り憑かれた証拠です。

そもそも、戦争の帰趨は「一つの海戦の勝利」で決まるわけではありません。

1916年のジェットランド海戦も1894年の黄海海戦も、1905年日本海海戦も、確かに1〜2日で勝敗が決まった。

日清日露、共に艦隊決戦で勝利した。

だから日米戦も真珠湾攻撃をやってそこで勝利すれば、海戦の勝利により、戦争全体が即日勝利で終わると思っている。

しかし戦争は、海上戦闘ではなく、陸戦で勝敗が決するものです。

イギリスがナポレオンに勝ったのはトラファルガーの海戦で勝利したからではなく、ワーテルローの戦いで勝利したからです。

連合艦隊の幕僚の、上記の偏った思い込みで計二億数千万人の日米両国民が戦争に巻き込まれたのです。

日米の戦没者並びにそのご遺族の方達は、恨むなら、日本からの真珠湾攻撃を実は欲した共産党シンパのルーズベルト大統領と、その他、当時の数人の閣僚、そして山本五十六以下の連合艦隊司令部。

こいつらを恨め、という事です。

外交無視、戦略無視の真珠湾攻撃

1940年(昭和15年4月)に山本五十六は、連合艦隊 参謀長の福留繁に、ハワイ奇襲を示唆している。

しかしそれをすれば、例え宣戦布告が攻撃前に間に合っても、偶発ではなく作戦計画に基づいた第一撃を放っているわけだから、パリ不戦条約に違反する事になる。

これは日露戦争に遡るが、時の海軍大臣 山本権兵衛からして奇襲開戦を主張してたので、この辺りから海軍は、艦隊決戦で戦争の勝敗が決すると考えていたフシがある。

昭和の海軍上層部には、東郷平八郎に代表される明治の海軍の武士道精神は継承される事なく官僚化しましたが、悪しき考え方は継承されたわけです。

日本海海戦後、イギリスに次ぐ世界第2位の地位に登り詰めた日本海軍は、参謀次長の長岡外史いわく、舞い上がって成金のような気分であった、との事。