横沢史穂のブログ

祖父が、ラバウルで負傷した陸軍の傷痍軍人でした。左右のイデオロギーに関係なく、戦争経験者の話を中心に編集したいと思っています。

海軍大学校のゆがんだ教育 ⑨

海軍兵学校を出れば 一生安泰」密室の終身雇用  


20倍という倍率を突破して、海軍兵学校からさらに選ばれたエリートが進む海軍大学校の教育は「考える教育」ではなく「暗記する教育」。 
 
つまり金太郎飴の様に同じタイプの人間が大量生産される偏った教育。
 
という事は、何度かお伝えしました。
 
理数系の受験エリートである、この偏って硬直した官僚達が海軍の将官として大東亜戦争を指揮し、国を滅ぼしたのです。
 
学校で学んだ勉強の内容が実社会に必ずしも適用しないのと一緒で、海大の教室で学んだ教科書の内容は、柔軟でプラグマティズムな米海軍には通用しなかったのです。
 
連合艦隊参謀長を長く務めた最高幕僚たる福留 繁からして、海軍大学校で学んだ艦隊決戦の思想が抜けなかったのは明白。
レイテ沖海戦や菊水一号作戦で、戦艦大和以下の艦隊に空からの護衛をつけずに突っ込ませたのはその証です。
 
また、連合艦隊司令部が真珠湾攻撃でもミッドウェー海戦でも奇妙、と言うより異常なのは空母の護衛に、まともな対空兵装はほとんど、もしくは全くない駆逐艦で事足れりとして、必要な重巡はほとんど出撃させなかった点です。
そして日本の重巡は、その多くが海戦以外で沈んでいきました。
 
また、ミッドウェー海戦で、ゼロゼロが敵の雷撃機を撃墜している隙にSBDドーントレスが急降下で日本の4隻の空母を爆撃したのを見てもわかる様に、日本海軍は、と言うより山本五十六の戦術観が、雷撃重視なのです。 
 
こういう所にも「思考の偏り」を垣間見る気がします。
 
慟哭なしには書けない…
 
また、海軍大学校で教えている内容が、敵艦隊を日本近海で迎え撃つ漸減邀撃作戦だから、連合艦隊司令部は潜水艦による通商破壊は考えなかった。
 
「敵の潜水艦から味方の輸送船団を守る」
「味方の潜水艦で敵の輸送船団を攻撃する」
 
何と連合艦隊司令部は、これを全く考えないで戦争を指導していたのです。
恐るべき事です。
 
それにより、数百万トンのこちらの輸送船が沈没。
20〜30万人の陸軍将兵が、戦わずして輸送船ごと水没しました。
大変な不作為であり、万死に値します。
 
海軍兵学校海軍大学校の教育に「戦略」は無い
 
これはマハンの影響ですが、海軍大学校では戦術、戦技レベルの教育しか施していない。
つまり「スペシャリスト」は育成しても、「ジェネラリスト」を育成していない。
 
実際に日本海軍は、平面的な戦術•戦技レベルでのみ戦ったのです。
一方アメリカは、日本軍人のマインドを「マーケティングリサーチ」して、社会学者や心理学者まで動員して立体的・複合的な戦いをしました。

 

日本海軍は情報を軽視し情報なしで戦争をした』            

    軍令部(対アメリカ)情報担当   実松 譲 海軍大佐

 

偏った「戦争屋」が出来るのが海軍大学校の教育。

それは山本五十六シンパの実松 譲でさえ言っている。

 

戦争には、敵と直に撃ち合うハード面と、情報•輸送•補給等のソフト面があります。

しかし海軍大学校で学んだ連合艦隊司令部は、敵との砲撃戦といったハード面のみ重視して、何とソフトを考慮しないで戦争指導をしていたのです。

 

その「海軍の敗戦責任」は戦後、追及される事はありませんでした。

これでは戦没者が報われません。