横沢史穂のブログ

祖父が、ラバウルで負傷した陸軍の傷痍軍人でした。左右のイデオロギーに関係なく、戦争経験者の話を中心に編集したいと思っています。

海軍上層部の大罪 13

海軍上層部はトカゲのしっぽ切り

悪性腫瘍を出し切らない

特攻を考えて命じた海軍大学校出のエリート官僚達に、特攻精神は無い。

彼らはただ特攻を命じて若者の命を踏みつけて権力のピラミッドの最頂点にいようとした。

戦艦大和の水上特攻は 昭和天皇も「愚かな作戦」と仰った

大和出撃は、連合艦隊司令部の自己保身の為としか思えない。

連合艦隊司令部はfleet in being、つまり「艦隊保全主義」と言って、戦艦の温存・出し惜しみをして、使うべき時に投入しなかったのです。

ミッドウェーでも後方500キロの安全地帯。

ソロモンの戦いにおいても、山本五十六は南国のパラダイス・トラック島の冷房の効いた戦艦大和の司令長官室で、ガダルカナル島の飢餓を尻目に自分は毎日高級料理に舌鼓を打ち、一度も救出に行きませんでした。

日本海軍よりも遥かに物量で劣るアメリカ海軍は、少ない軍艦をかき集めて総力を挙げて、ガダルカナル島で戦う海兵隊を支援したのに…。

減点制で、マイナスが出世に響く連合艦隊司令部は「大事な戦艦を傷つけたくない」と言う一心と、己が座乗する戦艦が損傷する怖さで、世界最大最強だった戦艦大和や武蔵を、使用しなかったのです。

最後のチャンスのレイテ沖海戦でも、栗田司令長官の怯懦からか、戦艦大和で突っ込まずに敵前でUターン。

「敵前逃亡」を「反転」と言い逃れてはいけません。

その結果、戦線は日本本土まで押し戻されたのに、戦艦大和は残ったまま。

海軍の純忠将士を一体 何だと思っているのか

この「艦隊保全主義」という「責任のツケ」を部下将兵に押し付けた、というのが「大和水上特攻作戦の本音」だと思います。

出撃された方達は偉大だが、あの作戦を考えた連合艦隊司令部の人間達は、国の宝である戦艦大和や一般の将兵を、何だと思っているのでしょうか。

頭にカっと来て、最終レースに全部つぎ込む。そんなギャンブラーの姿と、重なって見えます、

冷酷無比、としか言い様がありません。

彼らには武士道精神はなかったのか。

と言うより、学校で教わっていないのです。

日本の土俗性に根付かない海軍兵学校的な近代合理主義は、楠公精神や会津士魂等の伝統的な日本的武士道精神と相いれないのかも知れない。

いわんや戦術を教える事が主眼の海軍大学校においてはなおの事、です。