まともな祖国愛があれば、祖国を壊滅させた真珠湾攻撃やミッドウェー海戦を強引に進めた山本五十六を糾弾するハズ
勝てる機会があった大東亜戦争を大敗北に導いた山本五十六達の敗戦責任の追及を放置したツケが、様々な形で今の社会にマイナスのしわ寄せとなって押し寄せています。
共産党シンパの半藤一利が絶賛する山本五十六は、部下将兵が命を懸けて戦っている最中も瀬戸内海の戦艦長門の艦橋でバクチに明け暮れ、トラック島では手紙を送って戦場に愛人を連れ込もうとしていた男です。
彼に陛下の名代、陛下の股肱としての責任感なんか、皆無。
真珠湾攻撃にしても、アメリカ人は一発やられたら二発やり返し、同等以上の損害を与えようとする人間達で、真珠湾攻撃なんかやったら怒り狂うと知ってて、わざと寝た子を起こしたのではないでしょうか。
10年以上、脱出できない不景気に苦しんでいたアメリカ経済はパールハーバーの後、神がかり的に急成長しました。
山本五十六は戦争をギャンブルと考えているバクチ打ちであり、二枚舌三枚舌の天才役者です。
「やったら負けると、あらかじめ言ったよ」「ハワイの途中でも帰って来いと言ったよ」「東京が火の海になると言ったよ」
全て、後の責任から逃れる為の、アリバイ作りです。
事前に布石を打っておいたのです。
それは、相手の為や日本全体の為ではなく、全て自己の保身の為。
「後は知らねえよ」
という彼のつぶやきが、裏に隠れている気がします。
そしていざ戦いを始めると山本五十六は、サイパン・テニアンの要塞化を一切しないで、日付変更線や赤道を越えて、ひたすら前に出続けました。
ロシアだって、前に出るなんて事はしないで、ナポレオンやヒトラーを内陸部に引き入れて戦いました。
相手が強大なら、これは常道です。
話を戻しますと、アメリカのグルー駐日大使は、真珠湾攻撃の一年前の昭和16年1月にはメキシコ大使から真珠湾攻撃の噂を聞きました。
海軍の情報管理が、どれズサンだったのか。
この時期では、日米関係は、戦争するほどまでは悪化していません。
それなのになぜ、真珠湾攻撃の計画が先走りしたのでしょうか。