横沢史穂のブログ

祖父が、ラバウルで負傷した陸軍の傷痍軍人でした。左右のイデオロギーに関係なく、戦争経験者の話を中心に編集したいと思っています。

三島由紀夫 文学 『金閣寺』について

コンプレックスに固まった人間は、美的なものに異常な執着を見せる。

 

金閣寺』はまさにそんな小説ですが、幼児期に祖母によって男性性を剥奪された三島先生が、30歳を過ぎた節目にそれまでの人生を総括して、自らの自己回復の為に書いた小説だと私は考えています。
事実、『金閣寺』は、三島先生の作家としての地位を築いた作品と言われています。
 
夢想していた金閣寺は美しかったが、現実に目の当たりにした金閣寺は美しくも何ともなかった。
しかし、戦争による消失の危機に立たされた金閣寺は、逆に美しさを増した。
それがまた敗戦によって消失の危機が失せると、途端に輝きを失った。
だから再び美の絶頂に戻す為に、金閣寺を焼かなければいけない…。
 
終わりがなければ、美ではない。
永続性は美ではない…。
憂国』と並び、三島先生の、ある意味で偏斜した美意識が現れた作品です。
 
またこれはあくまでも私個人の仮説ですが、この小説の中の金閣寺とは、三島先生にとっては、かつて自分を全面的に支配していた祖母の残影だったのではないかと思います。
 
金閣寺からの主人公のワクワク感溢れる出奔は、祖母の支配からの逃避とも取れるのではないでしょうか。
祖母、またはそこから転じて、三島先生から見た「女性」なるもの全般かも知れない。
 
の中で空想して期待してた時は美しかったけど、現実を前にすると主人公は性的不能になる。
そんなシーンがありますが、まさにあの小説の中の主人公が見た金閣寺そのものだと思います。
 
(三島先生の小説で頻繁に見られる事ですが)あの主人公は、三島先生自身の投影に間違いありません。
 
最後に主人公が金閣寺に放火した後、「空想の美を求めるのではなく、現実に向き合って生きていこう」と決意するあたり、まさに三島先生から見た女性像であり、焼き払われた「祖母像」だと思います。
 
また、この小説の中で主人公は、ピンポンダッシュの様に様々なイタズラで住職を困らせて楽しんでいる。
後年の三島先生の自決が、間接的に父への復讐となっている様に、最終的な放火でまたしても住職を困らせている。
こんな所にも、三島先生のそれまでの生い立ちが反映されていると思います。
 
そしてもう一つの側面として、主人公(つまり三島先生)にとってあの金閣寺とは、戦前戦後で断絶された「愛憎入り交じる祖国」の象徴にもなっているのではないでしょうか。