横沢史穂のブログ

祖父が、ラバウルで負傷した陸軍の傷痍軍人でした。左右のイデオロギーに関係なく、戦争経験者の話を中心に編集したいと思っています。

天才・三島由紀夫 先生の狂気性

 

天才と凡人の違いとは…。
例えば、それを越えると全てが瓦解してしまう危険な一線があるとして、普通の人はどんなにその近くまで行っても、その一線は越えません。
戯画化して「越えるフリ」をするだけ。  
 
しかし、まれに本当に越えてしまう人がいる。 
それが天才であり、三島由紀夫 先生だと思います。   
10代の頃から三島由紀夫 先生の思想に傾倒していた私は、大学入学と同時に『三島由紀夫 研究会』に所属し、新潮文庫から出版されている三島先生の小説は、ほぼ読破しました。
世界中の学問が凝縮したかの様にあらゆるテーマが仕掛けられている、百科事典の如き三島由紀夫文学。
 
あくまでも主観ですが、ある意味、美意識が偏っている三島文学の根底にあるモチーフは一貫して「理想の父親像の探求」「父親による子への裏切り」であり、「親殺しの狂気性」だと思います。
 
そしてその根底にあるのは、幼児期に刻まれた「男性失格者」の刻印です。
それが狂気性の源泉となっている。
 
狂気性について、三島先生は『班女』についての考察で、述べています。
 
狂気によって飛翔する。
狂気が今や精錬され、狂気の宝石にまで結晶して、正気の人達の知らぬ人間存在の核心に腰を据えてしまう。
 
まさにご自身の事だと思います。
 
文学や芸術に必要なのは、下手をすると毒になるが、上手に料理すると高級料理になるフグの様な、
まさに破壊者にも救世主にもなり得る「狂気性」だと思います。
文学者を始め、優れた表現者は皆狂っている。 
普通の日常からは文学が生まれない。
しかし、狂っているものは人をうならせて、人を惹き付ける。
能力か障害か。
長所と短所の現れ方が極端。
それが狂気性だと思います。
 
陰湿な祖母のもとで男性性を完全に去勢された軟禁に近い状態で育てられ、周囲への気づかいによってしか生きられなかった、少年時代の三島先生。
 
中森明菜さんにも感じる事ですが、天才的な表現者からは、「幼少期の親への愛情飢餓感に起因する、内面の暗い衝動」を感じます。
 
「自分が置かれた環境はマイナス要因として自覚されたが、文学によりそれが一気に裏返しになる。人生への態度はようやく攻勢に転じた」
 
岡田尊司『パーソナリティ障害』より
 
三島由紀夫 先生はその暗い生い立ちを、文学に昇華させる事で、かさぶたが取れる様に幼少期の傷が癒やされていったのだと思います。