横沢史穂のブログ

祖父が、ラバウルで負傷した陸軍の傷痍軍人でした。左右のイデオロギーに関係なく、戦争経験者の話を中心に編集したいと思っています。

三島由紀夫 先生に見る「親殺し」

『絹と明察』『午後の曳航』もそうですが、三島文学の根底に流れているのは「親殺しの願望」「形を変えた親子の葛藤」だと思います。

 

(※ちなみに『美徳のよろめき』は『仮面の告白』に出てくる実在の人物たる三島先生初恋の女性・園子に対する復讐譚ですね)。  

  

市ヶ谷における11.25義挙での自裁も、幼児期に男性性を剥奪されたトラウマと、虚弱体質ゆえに軍隊に入れなかった劣等感から、「俺は男なんだ!」と叫びたい衝動が大きな要因となっていると推測します。

 

一方、その根底には「父親への反逆」があり、要するに幼児期に自分を愛してくれなかった実父を困らせて無意識的に復讐している部分もあるのでは、とも私は考えています。

 

ご存知の様に三島先生は昭和天皇に対して、「忠誠心で臨んでいるのに裏切られた」的な愛情入り交じる感情を抱いていますが…。  

 

そもそも三島先生が晩年に求めた「天皇の理想像」とは…。   

こちら側の「忠誠」や「恋闕の至誠」を無条件に包み込み、受け入れてくれる「至高の存在」です。 

しかし、その「理想の天皇」と「現実の天皇」は、大きくかけ離れていた…。 

  

三島先生が抱くあの「理想の天皇像」とはまさに、「三島少年が幼児期に求めた理想の父親像」ではないでしょうか?  

 

しかし、三島少年の「現実の父親」は、そうではなかった。 

「現実の父親」は、三島少年を無条件に包み込んでくれる存在ではなかった。   

この「理想の父親」と「現実の父親」とのギャップ…。  

それが私には、三島先生が後年において天皇に対して抱いた愛憎入り交じる感情と、オーバーラップして見えるのです。