「聲」は「声」の旧漢字です。
私が探求していたそのテーマを、まるごと受け止めてくれたのが『英霊の聲』です。
『英霊の声』は、昭和史の節目節目における昭和天皇の振る舞いを否定して、怒りをぶつける内容になっています。
その辺を吐露したとも言えるこの『英霊の聲』は当時、「不敬だ」「いや、よく言ってくれた」と、意見が大きく別れたらしいです。
しかし、「君、君たらずとも…」だと…。
事実、三島先生死後に市ヶ谷の事件を裁いた裁判官もその様な事を述べています。
いずれにせよ、そこには三島先生による親殺しと言うか、三島先生が幼児期に蜃気楼の様に眺めていた「理想の父親像」の影が揺らめいているのを、私は感じます。
昭和の歴史において天皇は、二度だけ「神」であるべきであった。
一度目は二・二六事件の時。
二度目は敗戦の時。
それによって我らの死の名誉は剥奪された、と。
その「我ら」というのが、処刑された二・二六事件の将校であり、特攻隊員達なんだ、と。
「我ら」は裏切られた。霊界にありて、いまだに安らぎはあらず…と。
「信じて尽くしたのに、裏切られたんだ…」というこの本の中の「我ら」の声が、信じて尽くした人に裏切られた私自身の青春と重なって、何度も読み返しました。
最後になりますが、二・二六事件の本質は、三島先生が喝破した以下の内容に尽きると思います。
これ以上に、二・二六事件の本質を語っている文章を読んだ事ないです。