横沢史穂のブログ

祖父が、ラバウルで負傷した陸軍の傷痍軍人でした。左右のイデオロギーに関係なく、戦争経験者の話を中心に編集したいと思っています。

三島由紀夫 先生が説く「真のエロス」 ①

三島由紀夫先生が、

渾身の力を振り絞った説いた「真のエロス」

 

死の裏付けがなければ、真のエロスに到達出来ない

 

私が、人生観の原点にして帰結である青春期に読んだ『憂国』は、私の核になりました。

 

内容は…。
陸軍中尉夫妻の物語。
その晩に、武山中尉は軍の大義の為に切腹し、若妻はノドを刀で突いて自決する事を、二人で決める。
 
しかし…。
数時間後の自死を前提にした、「人生最後の夫婦の営み」の、何と甘美な事…
 
お互い、目の前の相手が、人生最後の人…。
愛は一度限り。
美は一度限り。
 
美学というのは、死とかけ離れては考えられない。
 
死のみが裏付ける事が出来る、
二人の究極性の一体性…
 
愛の極限、それは「一緒に死ぬ事」でしかない
 
自決を控えているからこそ、そこでは愛の極限に惑溺し、死に至るまで性の悦びを追求し、その至福の極みにおいて、超絶的な境地に至る。
 
やがて訪れる死を背景に、その性的陶酔は絶頂の高みに登る。 
 
死とエロスの類縁関係
 
…そういう物語なのですが、それは、その辺の安い性交なんかとは次元が違う。
 
「美」と「死」と「真のエロス」が一本の線を成してる姿こそ、『憂国』が理想とするエロス。 
 
三島先生に言わせたら、死を見届け人にしない愛なんて、牛乳を水で薄めた様なもの
 
「超絶的なもの」に触れなければ真のエロスは無い
 
日本には、「ハレ(非日常)とケ(日常)」という文化があります。 
そして真のエロスは、神とか死といった超絶的なもの(ハレ)に触れる事によって更なる進化・深化を遂げる。   
それが三島先生の小説『憂国』のテーマであり「真のエロス」。  
 
だから今の、何も抵抗物も無い単なるフリーセックスなんてのは、超絶的なものに触れず、タブーにも触れない。単なる獣的な発情行為です。