三島先生から見て、息苦しくなる様な近代合理主義に、真っ向から挑んだ内容となっています。
例えば、この長編の女主人公である綾倉聡子は、近代合理主義から完全に逸脱した女性です。
三島先生は、近代合理主義の向こうにあるものまで包括する「近代的な知性の持ち主」だったのだと思います。
とにかく、この『豊穣の海』4部作は三島先生が渾身の力を振り絞って書き上げた大作であり、その壮大なテーマは私ごときがここで述べられる様なものではないのですが、気付いた点だけいくつか。
第一巻『春の雪』は不敬?
『金閣寺』の結末における、金閣寺放火後の主人公の「生きようと思った」というセリフはつまり、「抽象的観念に頼らず、現実社会で地に足を着けて自力でどこまで生きられるか。生きてみよう」と、三島先生は自分自身の仮託である主人公・溝口の口を通じて、自分自身を励ましている様に感じます。
『金閣寺』は「歪んだ愛情飢餓感や劣等感で育った青年のすさまじいもがきと、自立への模索」を描いている小説です。
だから『金閣寺』執筆直後の三島は「生きよう」としていた。
ところが遺作『豊饒の海』のラストでは、それが「無理だ」になりました。
また三島先生は本多繁邦に仮託して、築いた地位も名誉も人生の疲労に勝てなかった、と吐露しています。