横沢史穂のブログ

祖父が、ラバウルで負傷した陸軍の傷痍軍人でした。左右のイデオロギーに関係なく、戦争経験者の話を中心に編集したいと思っています。

今こそ、伝えねば…旧軍人インタビュー⭐️海軍特攻隊『第18嵐突撃隊』

安藤高視 先生

1928年(昭和3年)生まれ。

海軍特攻隊 『第18嵐突撃隊』。

モーターボート特攻艇『震洋』部隊の生き残りです。

本土決戦において相模湾に来寇して来る敵艦隊に対し、軍艦は一切無視して敵輸送船に体当たりする事を目的として、訓練に明け暮れていました。

しかし「特攻志願者は一杯いても、特攻ボートが足りなかった」との事。

そして戦後は何と40年以上、米軍基地に勤務する事になります。

 

安藤高視 先生のお話

アメリカへの恨みなんて全くなかったですね。ただ、マッカーサーが腰に手を当てて、昭和天皇の横に立ってる写真あるでしょ? 

あれを見た時に、何て失礼な奴だと、腹が立ちました。

戦後から私は、ダンスホールにずっと通ってました。

え?女の子にモテたかって? 

まあ、そういう事は…(笑)。

ええ、90近くなった今でも、私はダンス教室で教えています(笑)。

…安藤先生、この写真は2015年のものです。この時点で87歳。

この時に私が拝見した「ダンスのキレ」は、半端じゃなかったです。指の先までシャープな動きで、神がかってました。

三代目J Soul Brothersみたいでした。

私、安藤先生の凄く好きな所は…。

根底には、烈々たる特攻精神や大和魂がある。

しかし、それを全く表に出さないで、ビジュアル的にはファッショナブルで、サングラスがお似合いなアメリカンなテイスト。

なおかつダンサブル。

そして英語もネイティブばりにペラペラ。女性にもジェントル。三拍子も四拍子も揃ってる。

内面とのそのギャップが、凄く魅力的な方でした。

2015年8月 聞き取り