横沢史穂のブログ

祖父が、ラバウルで負傷した陸軍の傷痍軍人でした。左右のイデオロギーに関係なく、戦争経験者の話を中心に編集したいと思っています。

海軍 特攻隊の生き残りの方達と

海軍 飛行予備学生13期、14期の方達と。

2014年〜2016年頃の写真です

この頃、予備学生の方達が月に一回飲み会を開いており、私も頻繁に参加させていただきました。

※前列左から2人目が『彩雲』偵察員の織茂領 先生。

予備学生の方達というのは、陸士や海兵出身の方達の様に軍人として純粋培養されたわけではなく、一般の大学・高専在学中の学生からの志願なので、お話していても「シャバっ気」が強いのです。

しかしこの予備学生の中から、相当な数の人達が特攻隊に志願して、出撃して行きました。

究極の特攻隊…

写真の平峯先生は、予備学生15期。

特攻隊に志願されましたが、通常の特攻隊ではありません。

本土決戦に向けて、地上ロケット弾の中に入り込み、敵艦隊が来寇した際に人間ごと発射されるという、文字通りの人間ロケット…。

終戦間際のドサクサなので、兵器の名前も決まっていなかった様な事をおっしゃっていました。

私もこの特攻ロケット弾については、聞いた事がありませんでした…。

平峯先生の親友も特攻志願したそうですが、その親友のお父様が息子に向かって、

「お前を特攻に行かす為に、育てたんじゃない」

と、泣きながら話した、という話を、平峯先生は私にしてくれました。

このお話をしてくれている平峯先生ご自身が、目を真っ赤にして、嗚咽していました…。