横沢史穂のブログ

祖父が、ラバウルで負傷した陸軍の傷痍軍人でした。左右のイデオロギーに関係なく、戦争経験者の話を中心に編集したいと思っています。

2023-06-20から1日間の記事一覧

今こそ、伝えねば…旧軍人インタビュー⭐️戦士の友情

増山保雄 先生 1921年生まれ 空母『翔鶴』ゼロ戦パイロット。 1943年、空母『飛鷹』に乗艦後、い号作戦でラバウルの陸上基地に転属になり、ろ号作戦にも参加。現地で一年間、空中戦を繰り広げます。 その後、空母『瑞鶴』に乗り込み、日本海軍の切り札・決戦…

青春の思い出

たった一瞬の出会いなのに、忘れられない人… 人との出会いは「会った回数」ではありません。 毎日顔を会わせていても気持ちがつながらない人もいれば、たった一回会っただけでも、忘れられない人もいます。 …と、私は前のブログに書きましたが…他にもまだい…

今こそ、伝えねば…旧軍人インタビュー⭐️ほぼ麻酔なしで片足切断…

ほぼ麻酔なしで片足を切断 「ノコギリで切る音が聞こえる」 内貴直次 先生…。 いま振り返っても、五体が裂かれる思いです。 1921年(大正10年)9月5日生まれ。 日の本の 健き男(おの)の子は ひたすらに 捧げつくさむ 大君のため 内貴先生が1941年(昭和16…

今こそ、伝えねば…旧軍人インタビュー⭐️ペリリュー島のサムライ

敵将が絶賛したペリリュー島の守備隊 ペリリュー島での日米両軍の火力の差は、恐らく数百倍だと思います。 にも関わらず、死傷者の数はほぼ互角。 日本人として忘れてはいけないペリリュー島の戦いで、1944年9月の米軍上陸から終戦後の1947年まで、敗北を信…

今こそ、伝えねば…旧軍人インタビュー⭐️B29のコクピット目掛け一直線に…

ゼロ戦パイロットとして、B29を迎撃 中島又雄 先生 1924年(大正15年)熊本生まれ。海軍中尉。戦後は海上自衛隊に入隊し、海将。 1941年(昭和16年)海軍兵学校に入校。 8ヶ月繰り上げて卒業し、1945年(昭和20年)3月に海軍中尉に任官。 第332航空隊のゼロ…

今こそ、伝えねば…旧軍人インタビュー⭐️特攻隊の生き残り

特攻隊の生き残り、阿山剛男 先生 海軍第14期飛行予備学生の阿山剛男先生は1923年(大正12年)お生まれの方で、私は2018年に7月にご縁をいただきました。 戦争当時、早稲田大学商学部一年生だった阿山先生は、学徒出陣で茨城県の百里原海軍航空隊に配属され…

日本美の極致 25 会津鶴ヶ城の櫻