横沢史穂のブログ

祖父が、ラバウルで負傷した陸軍の傷痍軍人でした。左右のイデオロギーに関係なく、戦争経験者の話を中心に編集したいと思っています。

2023-06-22から1日間の記事一覧

戦時中、日本は原爆実験に成功していた

以下は、岐阜女子大学客員教授 矢野義昭 先生(元陸上自衛隊 陸将補・元第一師団 副師団長)から教わったお話です。 仁科芳雄博士が携わっていた原爆開発は、1945年2月、二号計画中止で頓挫。 これが定説です。しかし実際は違います。 海軍はF計画といって戦…

今こそ、伝えねば…旧軍人インタビュー⭐️地獄の戦場

坂上多計二 先生 1925年(大正14年)台湾ご出身の軍属として、フィリピン・ミンダナオ島ダバオ市郊外の海軍直営農場で、120名を指揮して陸海軍に生鮮食料品を補給する仕事をしていました。 その後、陸軍の第百100師団 独立歩兵第163大隊 高橋中隊へ現地入隊…

今こそ、伝えねば…旧軍人インタビュー⭐️大東亜戦争で米軍に最も損害を与えた大隊長

伊東孝一 先生 1920年(大正9年)お生まれ。 陸軍士官学校54期。 第32連隊 第1大隊長。 沖縄戦、いや、大東亜戦争を通じて最も敵軍に損害を与えた大隊長。 伊東先生のお話 敵の上陸地点は、リーフの形状からしても嘉手納海岸しか考えられないので、日本陸軍 …

今こそ、伝えねば…旧軍人インタビュー⭐️一〇〇式司令部偵察機の機長

※岩崎高明先生のお住まいには、何と広田弘毅揮毫の額が飾ってありました。 岩崎高明 先生 1921年(大正10年)お生まれ。 1941年(昭和16年)に陸軍士官学校(55期)を卒業後、第4飛行師団 独立飛行第52中隊に所属。 その後、一○○式司令部偵察機の機長として1…

今こそ、伝えねば…旧軍人インタビュー⭐️「特攻に行く人間は、腹をくくっている」

中島幸雄 先生 ゼロ戦パイロット。第22期 乙種飛行予科練習生。 中島先生のお話 鹿屋の第132航空隊から、ラバウルに行きました。台湾沖航空戦も行きました。空中戦は15回くらいやって…。 高度3500メートルから、45度の角度で突っ込みます。ほとんど真っ逆様…

今こそ、伝えねば…旧軍人インタビュー⭐️台湾出身の特攻隊

グライダー特攻に「熱烈志願」 呉正男 先生 1927年(昭和2年)台湾生まれ。 呉先生は小学校卒業後、東京の中学に留学。1944年(昭和19年)4月に志願して陸軍特別幹部候補生一期生として、水戸航空通信学校に入学しました。その後、滑空飛行第一戦隊に配属と…