横澤史穂のブログ

祖父が、ラバウルで負傷した陸軍の傷痍軍人でした。左右のイデオロギーに関係なく、戦争経験者の話を中心に編集したいと思っています。

2023-06-24から1日間の記事一覧

帝国軍人の言葉⭐️戦う前に降伏させる…

常盤盛晴 先生 1921年(大正10年)お生まれ 陸軍大尉。 ※写真の右横は、元 近衛兵の大島正虎先生 常盤先生については、今までYouTubeでもご何度か紹介させていただきました。 https://youtu.be/l9JC4afjBjg https://youtu.be/cYeqRZIX2_I つもる話はあるので…

今こそ、伝えねば…旧軍人インタビュー⭐️真珠湾攻撃に参加①

吉岡政光 先生 空母『蒼龍』に乗り組み、真珠湾攻撃に九七艦攻で参加され、敵艦に命中させます。 1918年(大正7年)お生まれ。 まさか令和の世でお会い出来るとは…。 昭和ではなく、平成ですらない、令和に、です…。 吉岡先生のお言葉 「蒼龍」で初めて2段ベ…

今こそ、伝えねば…旧軍人インタビュー⭐️人間爆弾『桜花』特攻隊 生き残りの勇士 ②

写真左が『彩雲』搭乗員の杉野富也 先生。右が佐伯正明 先生 ※①の続き 佐伯先生が特攻志願したこの神雷部隊は、司令の岡村基春 海軍大佐以下、精鋭揃いでした。 佐伯先生いわく…。 「私達は、一刻も早くこの兵器(『桜花』)を見たかった。 今や、全海軍あげ…

今こそ、伝えねば…旧軍人インタビュー⭐️人間爆弾『桜花』特攻隊 生き残りの勇士 ①

上の写真の左側が佐伯正明 先生。 右側は、同じくゼロ戦パイロットの北沖直行 先生。 私、この写真を撮らせていただいた時、本当に幸せでした。 佐伯正明 先生 海軍上飛曹。第721航空隊『神雷特別攻撃隊』。 ゼロ戦パイロットにして、人間爆弾の『桜花』への…

陸軍の大御所達⭐️両将に 言葉はいらない

日本陸軍の偉業を日本人が伝えなければ、誰が伝えるのか 2016年1月、旧日本陸軍軍人の親睦会である偕行社の、新年会にて。 左から、 ・大島正虎 陸軍大尉(元 近衛師団 94歳) ・不肖 私 ・堀江正夫 陸軍少佐(元 自衛隊陸将/元 西部方面総監 100歳) ・竹…

大戦末期の日本陸軍の戦略的・政略的大勝利

10倍、30倍、或いは数百倍の敵を粉砕してきた日本陸軍。 精神力は、人類最強だったと思います。 どこの国でも、国土防衛の根幹は陸軍。 国軍の主体も陸軍。 陸軍こそ、海空軍の上位に位置すべき「軍種の中の軍種」。 その国の土属性と国民性を如実に表すのも…

今こそ、伝えねば…旧軍人インタビュー⭐️帝国陸軍の誇り①

小埜隆 先生 陸軍士官学校出身(55期)の方で「大陸打通作戦」に参戦した第13師団 山砲兵第19連隊所属の陸軍大尉です。 大正10年(1921年)お生まれ。神戸ご出身。幼児期から神戸港の軍艦を見て、軍隊に憧れていました。 「夜、丘の上から見る神戸港の満艦飾…

今こそ、伝えねば…旧軍人インタビュー⭐️帝国陸軍の誇り②

小埜先生には、更にこんな話もあります。 第13師団は新潟で編成された師団です。 先生の部下も上越地方の人間が多かったらしいのですが、その当時は結婚の際にも「相手の家柄」を気にする人が今よりも多かった時代。 そしてある部下の結婚相手が、どうも「悪…

今こそ、伝えねば…旧軍人インタビュー⭐️百歳の近衛兵②

※①の続き …先生は100歳を過ぎても、何と自転車に乗っておられました。 私、60年後にこんな事は絶対に出来ません。何度もそのお姿を拝見しましたが、驚嘆の他ありませんでした。 また、先生は正座されても一時間位なら微動だになさいません。 私なんかは正座…

今こそ、伝えねば…旧軍人インタビュー⭐️百歳の近衛兵③

※②の続き その間に後の奥様との出合いがあり、昭和19年11月3日。明治帝の佳節にご結婚。 リアル『日本の一番長い日』 終戦の昭和20年8月15日には、辻先生は天皇陛下の直衛で宮城にいました。 天皇陛下の客殿の前の土手にいたのです。 玉音版奪還の偽の命令が…

今こそ、伝えねば…旧軍人インタビュー⭐️百歳の近衛兵④

2016年2月、辻先生の100歳の誕生日に私はお邪魔させていただきましたが、家族・ご親戚の皆様と本当に和気藹々と過ごされてました。 ひとえに辻先生のお人柄・長年の積徳による功徳だと、改めて思いました。 Q.今の日本と戦前の日本、どちらがいいですか? A.…

今こそ、伝えねば…旧軍人インタビュー⭐️百歳の近衛兵①

天皇に近侍し禁闕守護の任に就く近衛師団は、家柄から近親者の思想遍歴まで何から何まで全て調べられ、全国から特に選りすぐられた者のみで構成される、全軍の中でも陛下が格別の信を置く天皇直属の親衛隊です。 (余談ですが、当時の近衛師団の集合写真を拝…

今こそ、伝えねば…軍人インタビュー⭐️偵察機『彩雲』の彼方へ③

※②の続き 戦後は、1955年(昭和30年)1月に海上自衛隊に入隊。 3月には、かつて知ったる鹿屋航空隊に配属となり、航空士として対潜哨戒機PV-2、P2V-7に乗組。 1973年(昭和48年)11月に二等海佐として退官されるまで18年間、後進の指導・国防の任に就かれま…

今こそ、伝えねば…旧軍人インタビュー⭐️偵察機『彩雲』の彼方へ②

※①の続き フィリピンでは、部隊の仲間達と共にバンバン基地を脱出し、二週間飲まず喰わずでやっとツゲカラオ基地に辿り着きますが…。 着いたその場で、急遽、特攻隊の編成を命じられます。 田中先生達の中から特攻隊員を出せ、という命令です。 沈思黙考の後…

今こそ、伝えねば…旧軍人インタビュー⭐️第343海軍航空隊④

※③の続き 海上自衛隊には、昭和28年10月に入りました。 ある時、町の中で搭乗員の同級生に会いまして「海自でパイロットの募集をしてるけど、行くか」という話になりまして、仲間はみんなほとんど一緒に受けました。 私は昭和29年から30年の初めに鹿屋に行き…

今こそ、伝えねば…旧軍人インタビュー⭐️第343海軍航空隊③

※②の続き 私の初陣が決まったのが、昭和20年5月…。 だけどね、前の日は全然寝られなかったですよ。 いよいよ明日が命日かと思ったらね。 寝られません。 (その日は)空襲を受けて、防空壕の中で、 「あの飛行機が帰る跡を付いて飛んで行け」 と命令を受けてね…