横沢史穂のブログ

祖父が、ラバウルで負傷した陸軍の傷痍軍人でした。左右のイデオロギーに関係なく、戦争経験者の話を中心に編集したいと思っています。

今こそ、伝えねば…旧軍人インタビュー⭐️偵察機『彩雲』の彼方へ②

※①の続き

フィリピンでは、部隊の仲間達と共にバンバン基地を脱出し、二週間飲まず喰わずでやっとツゲカラオ基地に辿り着きますが…。

着いたその場で、急遽、特攻隊の編成を命じられます。

田中先生達の中から特攻隊員を出せ、という命令です。

沈思黙考の後、田中先生は、「よーし、俺が行こう」と、名乗り出ます。

「これも一つの死に方。いずれ遅かれ早かれ往く身」

と、血を吐く様な思いで、特攻出撃を志願されました。

特攻機コクピットに座り、離陸寸前に「この世から消えるのも数時間後」と、いよいよ覚悟を固めた時に「熱いものが頬を伝わった」との事。

ご両親の事。彼女の事。

そして再会の約束をしていた上官の事を想ったそうです。

ところが、離陸寸前に機体のエンジンが不調となり、特攻出撃は翌日に延期されます。

「死ぬ覚悟は出来ていて、飛行機と一緒なら怖くない」

しかし…。

結局、夜中にその機体が爆撃されて特攻自体が中止。

そのまま内地に帰還して今度は源田実 司令の下、特攻ではなく、偵察任務を命じられます。

凄いのがここからです。

正直、ツゲカラオ基地で最初に特攻の話が出た時は、さすがに内心は乗り気がしなかったそうなのですが…。

「一晩あけたら、逆にもう特攻が体から抜けないんです。

『俺は特攻隊だ。早く特攻に行かせろ。特攻以外やらねえよ。早く出撃させろ』

意識がこうなっちゃったんですよ。特攻に行かせてくれないから、ふて腐れちゃったんです」

凄いです…。

その後、源田司令から、

「お前の特攻は私が預かる」

と言われて初めて、

「特攻が抜けた」

との事…。

※③に続く