横沢史穂のブログ

祖父が、ラバウルで負傷した陸軍の傷痍軍人でした。左右のイデオロギーに関係なく、戦争経験者の話を中心に編集したいと思っています。

2024-06-01から1ヶ月間の記事一覧

氾濫する芸能人の裸の写真は 倫理破壊の共産革命 ⑤

日本の男が日本の女子供を守らないで、誰が守るのか。 私は、週刊誌の女性芸能人達の裸の写真に怒りを覚える。 日本破壊の悪だくみが隠れんぼしているから。 手足の汚れは落ちても、心の汚れは落ちません。 若いお嬢さん達は、魂の防波堤で跳ね返して下さい…

農村には「失われた日本の原風景」がある

農村には伝統が息づいている。 「失われた日本の原風景」がある。 日本人なら欧米食ばかりではなく、日本の大地から獲れた物を食べなければいけない。 食卓の水際で、欧米の侵略から日本を守らなければいけない。 つまり国土の水際ではなく食卓の水際こそ、…

白人を真似る事が、進歩だと勘違いしてきた日本のインテリ

明治以降の西洋崇拝主義のインテリ者達にとって、日本の伝統文化や武士道精神は敵明治期に入ってきた西洋思想(理性至上のデカルト系の大陸合理論が中心)を信奉するこの近代主義者やその末裔達は、日本人でありながら西洋の亜流であり、西洋的な知識輸入の…

文明開化とは、日本的なものを捨てて西洋化する事

・明治以降に日本はイギリス経験論ではなく、「理論で社会を変えられる」というマルクスの社会科学の様な、人間の理性を拠り所とするデカルト系の理性至上の大陸合理論をばかりを取り入れた事が、過ちの発端 ・明治政府がやった事は「日本らしさ」を捨てた西…

「日本的な世界観」を切り捨てた文明開化や大正デモクラシー

日本においては、 根元たる民族生命の個的顕現が「個人」 全体から隔離された「個人」なんて無い無限生命たる先祖の霊と直結する以上の幸福は無し日本において「無我」とは中心帰一の事であり、具体的には、個人の生命の根元・始源たる大生命への回帰。 有限…

大和の心は「結び」

大和の心は「結び」即ち「蒸す霊」 前述の、全体から「個」や「我」を切り離すデカルト以来の近代西洋の思想に対し、大和の心は「結び」です。 男女の結合から子供が生まれる様に、全く相反する物の結合によって新しいものが生まれ、全体として生成化育され…

デカルト以来の近代合理主義の誤ち

各人の内心に巣食う「大正デモクラシー的要素」を廃せ日本を再生するには、原点回帰と復古しかない 「国家は敗戦で滅びない。 国民が国家の魂を失った時に滅びる」 ドイツ帝国宰相 ビスマルク 我々の命は、幾千年前からの民族生命の延長にあります。故に我々…

西洋的な近代思想だけでは、日本の土俗性を包括出来ない

明治以降の高等教育では「近代社会は進歩的」と教えていますが、そもそも近代社会というのは西洋の近代思想が具現化したものであり、その思想は決して「人類普遍の真理」ではありません。 西洋には「神」という絶対者がいて、人々が何百年にわたりその絶対者…

戦後の日本は「物」は作っても「精神」は作って来なかった

私達の体内を流れる「日本の伝統な価値観」を 取り戻さなければならない 経済発展以外の全てのものを捨てて来たのが 戦後日本 日本は今、思想侵略という形の間接侵略を受けていると思います。 つまり我々日本人は、連綿と続く土着の東洋的な思考や日本的な価…

赤い大正デモクラシーの知識人達が、戦後の日本の教育界を牛耳った

赤い大正デモクラシーの教養を身につけた知識人達は、ある意味で敗戦利得者です。 ドイツは第一次大戦後、20年で立ち上がりましたが日本人は80年経っても立ち上がれないのは、どうもこの辺りに原因がある気がします。 そしてこの、日本古来の大和魂的な価値…

日本刀こそ、日本精神が具象化したもの

これも三島由紀夫 先生が述べていた事ですが、 「日本文化や日本精神は、日本刀の精神で守るべき」 です。 「守る」とは、剣の論理 アメリカ人にとって拳銃とは そこに己の全存在をかけて戦う魂の拠り所 日本人にとってそれは日本刀 日本刀は道具ではなく 日…

日本精神とは「文」と「武」から成り立つ 〜精神の戦いこそ全て〜

ちなみに現在、「日本の精神を守る」「精神の戦いに勝つ」という目的を掲げている団体や個人は、あまり見かけません。 尖閣の様な外からの物理的な侵略には抗議しても、精神侵略には無関心です。 つまり多くの日本人は、何事も「物」や「形」にしか関心がい…

大事な事は「権力」の交代ではなく「思想」の交代 ①

官僚と遊泳術 受験勉強を徹底的にやって勝ち続けると「遊泳術の得意な人間」は、生まれると思います。 小利口な「泳ぎの達者な奴」ですね。 しかし特にリーダーは、才に長けても、最後は根性とか精神力の方が大事です。 山本五十六も米内も、遊泳術は抜群で…

明治以降の高等教育機関の弊害 ①

「文明開化」という名の悪魔性と反日性 ①

明治新政府による 西洋崇拝的な文明開化こそが悪の始源 文明開化とは 今日の「グローバルスタンダード」の事 「明治の文明開化」や「大正デモクラシー」 といった西洋崇拝の悪弊を捨てて 今こそ日本的な価値観に復古すべき これら明治初頭の文明開化や脱亜入…

「憲法改正→対米自立」の前に…

「改憲して軍隊を持って、アメリカから独立しろ!」 という強気でマッチョな意見を、30年以上昔に私も言ってた。 ただ最近それを言う人って…。 「その前にお前が親元から独立しろ!」 「経済的に独立できない半人前のお前が、改憲・対米独立を訴えても説得力…

「女性の時代」の意味

「女性の時代」 とは、 「男女共に調和力や愛を深める事」 という意味であり、 「女性が男性化する事」 ではなく、 「男も女も全て一緒にする事」 でもありません。 そもそも「男女平等」自体がワナです。 男女は「平等」でも「対等」でもなく、 「一対」。 …

旧軍人インタビュー特攻隊の生き残り ⭐️ 血書嘆願で特攻志願

右から、陸軍特攻隊 第75振部隊 山口利雄 先生。 中央は、同期生の陸軍 特攻志願兵 三橋利雄 先生。 山口利雄 先生 昭和18年、日立第一工業青年学校(現・日立工業専修学校)2年の17歳の時に、民間の飛行機会社のパイロット試験に合格しました。 そこから「…

旧軍人インタビュー 特攻隊の生き残り ⭐️ 爆弾を抱いて戦車に体当たり

三橋利雄 先生 大正15年(1926年)生まれ。 終戦時は、本土決戦に備えた利根兵団83部隊に所属。 本土決戦に向けての準備、即ち米軍による本土上陸の際に爆弾を抱いて敵戦車に潜り込む訓練をしていました。 タコ坪を掘って待機して、敵戦車が来たら爆弾を抱いて…

旧軍人インタビュー 特攻隊の生き残り ⭐️ 17歳の特攻志願

最終決戦として日本本土に上陸する米軍を、海岸線で迎え撃つ特攻隊…。 湾内に侵入した米艦隊を、上陸3日前から水中・水上・空中の三段構えの特攻作戦で迎え撃ち、上陸初頭に敵の士気を阻喪させる。 そしてやっと上陸しても、まだ武器弾薬・人員を揚陸したば…

旧軍人インタビュー 特攻隊の生き残り ⭐️ 終戦時に自決を決意 ②

※①の続き 織茂領 先生のお話 第二河和海軍航空隊。 全部で200〜300人ですが、任官している士官。 部隊全員が特攻志願です。 もちろん私もです。 「いざとなったら行きます」と、ハンコを押しました。 その後に私は昭和20年、名古屋海軍航空隊の『彩雲』偵察…

旧軍人インタビュー 特攻隊の生き残り ⭐️ 終戦時に自決を決意 ①

私は中学時代に『英霊たちの応援歌 最後の早慶戦』という映画を観て以来、学生から学徒出陣を経て特攻隊に志願された方達に、とても関心がありました。 高校受験の勉強をしながら「ゆくゆくは大学にも進学したい」と漠然とながら考えていた私は「戦争に行く…

旧軍人インタビュー 特攻隊の生き残り ⭐️ 人間爆弾「桜花」 ④

※③の続き 佐伯正明 先生の物語 つまり、胴体着陸した佐伯先生の『桜花』は地上で逆さになり、もんどりうってひっくり返ってしまったのです。 佐伯先生は両足打撲と裂傷で、頭部に36針を縫う大怪我を負いました。 意識を失い「あの傷では助からない」と宣告を…

旧軍人インタビュー 特攻隊の生き残り ⭐️ 人間爆弾「桜花」 ③

※②の続き 佐伯正明 先生の物語 まずは一式陸攻に乗り込み、縣吊されてる『桜花』に上空で乗り移り、房総半島突端の犬吠崎上空からの投下。そして着陸…の流れです。 「アッ、落とされた!――――」 一瞬そう思った。 グラリと大きく『K1』が傾いて、そのままスー…

旧軍人インタビュー 特攻隊の生き残り ⭐️ 人間爆弾「桜花」 ②

※①の続き 佐伯正明 先生の物語 水上機出身の佐伯先生達は、部隊到着の翌日から「風向きをあまり気にしなくていい」陸上機(零戦)での訓練を開始します。 佐伯先生が新たに気付いた事は「零戦は水上機よりも非常に軽快な運動性を持つ」という点です。 そして…

旧軍人インタビュー 特攻隊の生き残り ⭐️ 人間爆弾「桜花」 ①

個人的な話になりますが、私は桜花特攻隊の神雷部隊指揮官の野中五郎 少佐(死後、大佐)に関心がありました。 基地に「野中一家」の看板を掲げ、ヤクザ口調で挨拶する任侠気質な指揮官…。 これだけでも魅力的なのに、もうひとつ私の心が動かされたのが…。 以…

旧軍人インタビュー ⭐️ 沖縄戦 鉄の暴風 ④ 沖縄県民 かく戦えり

※③の続き それにしても、沖縄戦の記録を辿る度に私が思うのが「沖縄県民の皆様の献身」の凄まじさです。 牛島司令長官も「沖縄県民ほど献身的な国民はいない」と言い遺しています。 そもそも沖縄県は明治になってから大日本帝国に編入された、元々は琉球王国…

旧軍人インタビュー ⭐️ 沖縄戦 鉄の暴風 ③ 沖縄県民 かく戦えり

※②の続き 東江芳隆 先生 昭和18年10月10日、 台湾第85部隊(陸軍兵器補給廠)に給仕として就職。 昭和19年5月25日、海軍・佐世保海兵団に入団。 昭和19年9月15日、横須賀海軍工機学校に入校。 昭和20年1月15日、同校卒業。 昭和20年2月14日、海軍・第951航空隊…

旧軍人インタビュー ⭐️ 沖縄戦 鉄の暴風 ② 沖縄県民 かく戦えり

※①の続き そこでまずご紹介させていただくのは、旧海軍軍人にして戦後は『那覇大綱挽保存会』理事長。 そして那覇市議(社会大衆党)を三期勤めた東江芳隆 先生です。 東江先生からは、沖縄戦だけでなく、本土では得られない様々な事を学ばせていただきました…

旧軍人インタビュー ⭐️ 沖縄戦 鉄の暴風 ① 沖縄戦は勝てる戦闘だった

※沖縄戦を戦った歩兵第32連隊 第1大隊長 伊東孝一 陸軍大尉殿 第九師団が残っていたら 沖縄戦は勝っていた 日露戦役以来の武勲に輝く最精鋭の第九師団が、台湾沖航空戦の誤報によって引き抜かれなければ、沖縄でこそ米軍を足止め出来たと、私は思います。 様…