横沢史穂のブログ

祖父が、ラバウルで負傷した陸軍の傷痍軍人でした。左右のイデオロギーに関係なく、戦争経験者の話を中心に編集したいと思っています。

白人を真似る事が、進歩だと勘違いしてきた日本のインテリ

明治以降の西洋崇拝主義のインテリ者達にとって、
日本の伝統文化や武士道精神は敵


明治期に入ってきた西洋思想(理性至上のデカルト系の大陸合理論が中心)を信奉するこの近代主義者やその末裔達は、日本人でありながら西洋の亜流であり、西洋的な知識輸入の貿易商・代理人です。  


彼らは西洋の上っ面だけ真似して一人前になった気になって、日本の伝統を徹底的に破壊する事を進歩と勘違いしてきた。

地に足がついていない自由主義化や、間違えた民主主義化を、進歩と勘違いしてきた。
 
日本の伝統精神を融解させる事を、進歩だと勘違いしてきた。   

つまり、諸悪の根元は、明治初頭からの西洋崇拝にあるのではないでしょうか。

大正デモクラシーの延長たる戦後的価値観では、
武士道や切腹は未開のアジアの野蛮な風習であり、
憎むべき異教徒の邪悪な教え

そこでは伝統的な日本精神は、憎悪の対象でしかない。  

ルソーが典型例ですが、国家の上をいく「人類普遍の価値」というのは疑うべき。

国家や民族の伝統を離れた抽象的な「人間」なんて掴みどころがありません。
 
各民族の歴史を取っ払った抽象的な「人間」なんて、あるとしたら非文明の自然人。
或いは野生の野蛮人。

※明治以降の話に限らず「日本の土俗的なもの」と「舶来のもの」との争いは6世紀の仏教伝来時の「崇仏派」と「廃仏派」の時代、さらに遡って縄文・弥生の時代から続く我が国の宿痾だと思います。

※ちなみに中国の共産思想も中国から生まれたものではなく、ソ連からの輸入でもない。

中国でいち早くマルキシズムを取り入れたのは、大正時代に中国から来日して学んでいった日本留学経験者達です。
その当時の日本の共産思想熱がどれほど熱かったか、おわかりになると思います。

しかし、大正デモクラシーにも一理ある
 
我が国は明治時代に「下からのボトムアップ」ではなく、猛スピードで「上から近代化」したから、そのほころびが出たのです。

大正デモクラシーは、その中で完全に放置されてきた貧困問題の未解決ゆえに生まれました。
 
当時の特高警察いわく、
 
「子供達まで劣悪な環境で働かされる労働問題に、一番真剣に取り組んだのは共産主義者キリスト教者達だった。彼らは皆、正義感に燃えていた」