横沢史穂のブログ

祖父が、ラバウルで負傷した陸軍の傷痍軍人でした。左右のイデオロギーに関係なく、戦争経験者の話を中心に編集したいと思っています。

戦後の日本は「物」は作っても「精神」は作って来なかった

私達の体内を流れる「日本の伝統な価値観」を
取り戻さなければならない
 
経済発展以外の全てのものを捨てて来たのが
戦後日本
 
日本は今、思想侵略という形の間接侵略を受けていると思います。
 
つまり我々日本人は、連綿と続く土着の東洋的な思考や日本的な価値観から、長い時間をかけて余りにもかけ離れてしまいました。
 
日本の伝統的価値観をヘイトしてその人に「日本人の魂」が無いのならば、単に血液やDNAが日本人だというだけでは、その人は日本人ではない。
 
このままでは「日本の文化や精神」は、インカやアステカの様に地上から消滅してしまう。
   
そういう意味では、戦前世代が社会の現場にいた昭和50年代こそ、文化防衛・精神防衛の戦いにおいて、国民精神のギリギリの最後の水際で、亡国的な価値観の侵入を首の皮一枚で防いでいた(と私は思います)。
 
あの頃も「愛国教育」なんてなかったですが、まだ家庭はシッカリしていた。
 
ですから、あくまで主観ですが、
「昭和50年代こそ、日本らしさがまだ社会に残っていた最後の時代」
であり、
「日本文化防衛の最後の砦」
だったと思います。
 
だから本当は、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の昭和50年代か、せめてその直後のバブル期の、日本にまだ力があった時代(35年前)に「日本の歩むべき道」を指し示すべきでした。
 
国家戦略というのは、100年前の先祖に想いを馳せ、100年先の子孫の幸せを考える。
政治家はこれをやらなければいけない。
 
最低でも10年先、20年先、30年先の未来を考えて手を打たなければいけない。
 
しかしその時代の我が国の政治家や指導者達は、30年先の将来は全く考えていなかったと思います。
 
だから今こそ在野の我々が主唱して、私達の体内を流れる東洋の知恵・日本人の伝統的な価値観を取り戻さなければならない。
 
日本人自身の内心にある「日本精神 嫌悪主義」「西洋崇拝主義」的な大正デモクラシー(大正共産主義)的な要素を排さなければいけない。
 
今の人達のマインドは
「国民」と言うより「消費者」
 
しかし、共産だけ主義を批難するという事は、裏返しでアメリカンデモクラシーや資本主義を推奨礼賛する事になる。
 
共産主義がダメだからと言って、資本主義礼賛に走るのも間違いです。
今や共に両者は経済上の唯物思想に堕しました。 
 
「お金を稼ぎたい」
だけでなく
「日本人として高潔に生きたい」
「人格を磨きたい」
も重視すべき
 
資本主義の発達とは、人間らしさの退歩と表裏一体なのかも知れません。
我々現代人は物質文明が発達した分だけ、「大事な何か」を忘れてきたのだと思います。
 
つまり共産主義と資本主義。
両者は共に近代西洋を生みの親とする「異腹の兄弟」です。
同じ物を、右から見るか左から見るか。の違いに過ぎません。