横沢史穂のブログ

祖父が、ラバウルで負傷した陸軍の傷痍軍人でした。左右のイデオロギーに関係なく、戦争経験者の話を中心に編集したいと思っています。

旧軍人インタビュー ⭐️ 沖縄戦 鉄の暴風 ① 沖縄戦は勝てる戦闘だった

沖縄戦を戦った歩兵第32連隊 第1大隊長

東孝一 陸軍大尉殿

 

第九師団が残っていたら
沖縄戦は勝っていた
 
日露戦役以来の武勲に輝く最精鋭の第九師団が、台湾沖航空戦の誤報によって引き抜かれなければ、沖縄でこそ米軍を足止め出来たと、私は思います。
 
様々な資料や聞き取り調査を重ね合わせて、私はそう確信しています。
その点については、「大東亜戦争中で最大の活躍をした大隊長」と呼ばれる伊東孝一 先生からも、確認を取りました。
 
史実では、昭和20年(1945年)4月1日に、米軍は沖縄本島中部の嘉手納海岸に上陸。  
 
以降、南下する米軍をこちらは徐々に内陸部に引き込み、5月4日に第五砲兵団の射撃で一斉反撃。
 
となりますが、伊東孝一 先生によるとこの反撃は「すでに時期を逃していた」との事。
 
そもそも、こちらは事前に米軍の上陸地点を小禄、牧港、嘉手納の三ヶ所のいずれかと想定していました。
 
しかし、伊東先生による必勝の作戦計画によると…。
 
「敵軍上陸地点はリーフの形状から判断しても、嘉手納海岸しか考えられない。だから他は考える必要はない」ので、日本陸軍・虎の子の第五砲兵団以下、全ての火力を嘉手納海岸にのみ結集させる。
 
そして敵を一旦上陸させておいてから、海岸線で整頓未了の敵軍に対し、敵上陸第一日目にこちらは全ての火門からありったけの砲撃を加えて、更に海岸に堆積された膨大な敵弾薬の誘爆も引き起こし、しかる後に歩兵の総突撃を行い、我が方得意の白兵戦に持ち込む。
 
敵味方が入り乱れた接近戦に誘致すれば、敵は同士討ちを恐れて重火器が使えず、これにより敵の有利な機動力を完全に封殺。
 
海岸線において敵に決戦を強要し、戦場を混乱に導いた後に、一気に雌雄を決する。
 
「これにより、少なくとも敵の上陸第一波は粉砕出来る。確実に出来る。しかし、我が方が決戦で勝利する戦機は、敵が整頓未了の上陸第一夜のみ。
上陸二日目以降だと相手の態勢が整ってしまう。
そこから総攻撃してもダメ。
だからあくまでも、総攻撃は敵の上陸第一目に限定する。
そこに全ての火力を結集し、そこから先は徹底的な持久ゲリラ作戦。
また、持久ゲリラ戦になっても、こちらが時間をかけて作った本島内部の堅固な築城が、米艦艇の艦砲射撃や1トン爆弾を跳ね返し、敵の物量を無価値に出来る。
しかも、そもそも上陸第一波で粉砕されたら、敵もそれ以降は及び腰になる。
そしてアメリカは世論の国。人命重視の国。
その直前の硫黄島でも米軍は内陸部に引き込まれて大損害を出しているので、沖縄でも上陸初頭でそこまで損耗を受けたら、世論が黙っていない」
 
これが私が、伊東先生からお聞きした聞いた沖縄戦での必戦の構想です。
 
第三二軍高級参謀・八原博通大佐の「寝技戦法」に通底しています。
 
「寝技戦法」とは、「力任せに来るボクサー(米軍)に対し、力(物量)で劣るこちらは相手の有利の土壌で戦わず、寝技に持ち込む」という戦い方です。
 
 
前年の昭和19年(1944年)10月の台湾沖航空戦の誤報と、それに伴う第九師団の抽出が無ければ、この作戦が実行されるハズでした。
そうなったら、戦争の趨勢も大きく変わったハズです。
「有利な条件での講話」も、あり得たと思います。
 
※②に続く