まともに戦わせてもらえず、餓死•戦病死100万人。
戦う前に輸送船ごと沈められた陸軍将兵30万人。
その大半は太平洋方面の担当だった海軍上層部にあるのは明白だが、戦後の日本は、なぜこれほど重要な事を、80年近く誰も追及して来なかったのか。
そしてそれは、十分に可能であった。
米軍は山岳戦に弱い。
制海権がない中で米軍を迎え撃った史実のサイパン戦においても、上陸して来た米軍に水際作戦を挑み、敵に相当の損害を与えてこちらの戦力も激減していく中でも、内陸部に米軍を引きずり込んでからは三週間持ちこたえた。
太平洋の戦いは、防者有利である。
「国力で劣る側は前進しないで、敵をこちらに引き付けて戦う」は定石である。
事実、ロシアはナポレオンをも、ヒトラーをも、国土の奥深くに引きずり込んで敵の補給戦を伸ば切って、勝利した。
だからサイパン以南には攻め込まず、ここで守りを固める。は当然の戦略であった。
防御を全く考えずに、戦線をムチャクチャに前に前に広げたのは山本五十六です。
サイパンを要塞化しなかった重大な責任
そして実際にサイパンの戦いが始まる頃、この島のトップにいた南雲中将は要塞化など思いもつかず、何とテニスに明け暮れていた。
戦いが始まる直前にサイパン入りした第43師団長の斎藤義次 中将閣下は愕然となり、「米軍を恨まない。海軍を恨む」と、言い遺している。
まだ可能性があった時期に、なぜ何もしなかったのか。
具体的には、なぜ海軍はサイパンを要塞化しなかったのか。
なぜしないで、南に南にと、戦線をメチャクチャに拡大したのか。
それらの責任者の責任を追及し、信賞必罰を明確にする事が、戦没者への「鎮魂」です。
ものを言いたくても言えなかった戦没者に代わって、生きてる人間が例えかすれ声でも、その糾弾の声をあげ続けていかなければならない。