横沢史穂のブログ

祖父が、ラバウルで負傷した陸軍の傷痍軍人でした。左右のイデオロギーに関係なく、戦争経験者の話を中心に編集したいと思っています。

サイパンを要塞化しなかった海軍上層部の大罪

まともに戦わせてもらえず、餓死•戦病死100万人。

戦う前に輸送船ごと沈められた陸軍将兵30万人。
 
自殺点的なこれらの事態を引き起こした大東亜戦争戦争の指導者達の「敗戦責任」。
 
その大半は太平洋方面の担当だった海軍上層部にあるのは明白だが、戦後の日本は、なぜこれほど重要な事を、80年近く誰も追及して来なかったのか。
 
東京を無差別爆撃した第21爆撃集団の数百機のB29はサイパンから出撃し、広島に原爆を投下したエノラゲイ号はサイパンの8キロ隣のテニアンから飛び立った。
 
 
大東亜戦争は、太平洋方面には深入りせずに、日付変更線も越えず、赤道も越えず、サイパンにとどまってここを要塞化し、マリアナの航空基地さえ守っておれば、勝てないまでも負けなかった。
 
そしてそれは、十分に可能であった。
米軍は山岳戦に弱い。
 
制海権がない中で米軍を迎え撃った史実のサイパン戦においても、上陸して来た米軍に水際作戦を挑み、敵に相当の損害を与えてこちらの戦力も激減していく中でも、内陸部に米軍を引きずり込んでからは三週間持ちこたえた。
 
太平洋の戦いは、防者有利である。
「国力で劣る側は前進しないで、敵をこちらに引き付けて戦う」は定石である。
 
事実、ロシアはナポレオンをも、ヒトラーをも、国土の奥深くに引きずり込んで敵の補給戦を伸ば切って、勝利した。
だからサイパン以南には攻め込まず、ここで守りを固める。は当然の戦略であった。
 
山本五十六の戦い方は、ゴールキーパーなしのサッカーをしている様なもの
 
ところが、サイパンは海軍の担当エリアであるにもかかわらす、海軍はサイパンの要塞化に全く手をつけなかった。
それでミッドウェーだ、ニューブリテン島だ、ガダルカナルだと、どんどん前に進み続け、嫌がる陸軍に要請してこれらの島々に撒き散らすかの様に陸軍将兵を振り分けた。
防御を全く考えずに、戦線をムチャクチャに前に前に広げたのは山本五十六です。
 
サイパンを要塞化しなかった重大な責任
 
そして実際にサイパンの戦いが始まる頃、この島のトップにいた南雲中将は要塞化など思いもつかず、何とテニスに明け暮れていた。
 
戦いが始まる直前にサイパン入りした第43師団長の斎藤義次 中将閣下は愕然となり、「米軍を恨まない。海軍を恨む」と、言い遺している。
 
サイパンが落ちたら敗北必定」とは、軍令部も、その半年前まで軍令部総長であった永野修身 海軍大将自身も認識していた事。
 
マリアナが陥落した時、近衛第二師団長であった武藤章 陸軍中将は副官に「負けだ」と言っている。
事実、国民党の蒋介石が態度を決定的に変えたのは、この昭和19年7月のサイパン失陥以降である。
 
まだ可能性があった時期に、なぜ何もしなかったのか。
具体的には、なぜ海軍はサイパンを要塞化しなかったのか。
なぜしないで、南に南にと、戦線をメチャクチャに拡大したのか。
それらの責任者の責任を追及し、信賞必罰を明確にする事が、戦没者への「鎮魂」です。
ものを言いたくても言えなかった戦没者に代わって、生きてる人間が例えかすれ声でも、その糾弾の声をあげ続けていかなければならない。