横沢史穂のブログ

祖父が、ラバウルで負傷した陸軍の傷痍軍人でした。左右のイデオロギーに関係なく、戦争経験者の話を中心に編集したいと思っています。

海軍上層部の大罪 ⑦

1930年のロンドン海軍軍縮会議においてアメリカ・イギリスは、イタリア・フランスを除外してでも日本を優先し、日英米で提携してソ連を追い込む主旨でした。

にも関わらず、「英米は日本を抑圧している」と、統帥権干犯を掲げて反英米を叫んだのは海軍軍令部です。

しかし、これは海軍の全くの勘違い。

或いは確信犯か。

この時期のアメリカは不況で苦しんでいるわけですから、海の向こうで何があろうと、外国人の為にわざわざ太平洋を渡って自分から日本に戦い挑みません。

陸軍も、アメリカ・イギリスと戦う気はない。

陸軍の敵は、北で国境を接するソ連(ロシア)です。

陸軍の担当はソ連(中国大陸方面)。

海軍の担当はアメリカ(太平洋方面)。

これは、1907年の「帝国国防方針」以来、一貫して変わらない方針です。

海軍としては「アメリカ・イギリスの脅威」を叫べば、或いは南進してアメリカ・イギリスと戦えば、予算がもらえる。

しかし北(ソ連)に向かえば、陸軍に予算がつく。それだけは何としても避けたい。

つまり、本来は「議会政治・政党政治」「資本主義」という、日本と価値観を同じくする友好国であるアメリカ・イギリスに海軍が牙を剥いたのは、「予算獲得の為」「陸軍に予算を取られたくないから」です。

「国家の大義の為」でも何でもありません。

海軍上層部のエリート官僚の、とんでもない大罪です。

そしていざ開戦して、特に最強のアメリカ第五艦隊が進出して来た1943年の後半以降は、海軍の指導者達はどうしていいかわからなくなった。

その為、そこから先は国家の大義の為に「戦争に勝つ事」ではなく「戦争の責任を陸軍に押し付ける事」に専念しました。

つまり、少数の「海軍上層部のメンツ」が、百万人の陸軍将兵の苦しみであがなわれている。これが大東亜戦争後半戦の実態です。