戦時中は、今の様な「個人の自由」なんか全くなかった。人権は抑圧されていた。
だから戦後の行き過ぎた、しかも曲解された自由主義教育は、間違いなく戦前の反動だと思います。
真反対にひっくり返ったのです。
戦時中は「一死報国」と言って特攻玉砕までするかと思ったら、戦後は「個人の自由」の極大化。
余裕の無さがそうさせるのか、日本人は極端なのだと思います。一方の方向に偏ってしまう。
義務と権利のバランスが取れていない。
即ち「健全な自我」が確立されていない、という可能性がある。
逆に大東亜戦争時のアメリカは、(あくまでも表面的なものだけ見た私の主観ですが)権利と義務のバランスが取れている様な気がします。
その部分では、悔しいけど彼らは「自我」が確立された成熟したマインドだったのでしょうか。
となると、(これを言うのは憚られますが…)大東亜戦争はやはり、負けるべくして負けたのかも知れない。
とにかく、先祖から我々の人生は「自分個人の幸せの為」にあるのではなく、その目的は「未来の子孫達の幸せの為」。
そして未来の子孫達も、そのまた子孫達に同じ事をすればいい。そうやって命はつむがれていくのです。
我々の命は、先祖からの相続の結果。相続には義務が伴います。
我々の代で「私の人生は私の自由だ」と、その流れを断絶させる権利はありません。
つまり、今の学校で教えている自由主義というのは、単に利己心を拡大させているだけ、だと思います。